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2016年2月

2016年2月

感謝

感謝

昨日は、初節句のお祝いでご利用頂いたお客様から嬉しいメモを頂きました。
また、この様なお言葉を頂ける努力をしいきたいと思います。
最近、お祝いの席のご要望が増えているので、記念にのこる料理、サービスを提供していきたいと思います。

シェラスコ

 
 

 

えのき 六町 東京 名物 軍鶏 地産地消 ゑの木 足立区 接待 本物 本格 フレンチ 和食 フルコースのサムネイル画像
えのき 六町 東京 名物 軍鶏 地産地消 ゑの木 足立区 接待 本物 本格 フレンチ 和食 フルコース
 

 3週間前に行ってきた日本のブラジル。群馬県大泉町。

シェラスコなどとても美味しいし、ブラジル人方たちもいい人沢山。

スーパーには見たことない食材など異国情緒たっぷりで楽しい町でした。

元野球選手の違法薬物取引していた場所と北関東は紹介されていましたが、

そんな事は微塵も感じず、たらふくブラジルを堪能できました。

機会あれば是非遊びに行ってみて下さい。

 

日本テレビ 【every】 パート4

アイドル 夢みるアドレセンス

夢みるアドレセンス 夢アド 六町 ゑの木 東京料理 あだち菜うどん レストラン
夢みるアドレセンス 夢アド 六町 ゑの木 東京料理 あだち菜うどん レストラン

東京を中心に活躍しているモデル出身のアイドルグループ「夢みるアドレセンス」。

そのメンバーで

荻野可鈴さん

山田朱莉さん

京佳さん

の3人が来てくれました。

皆とっても元気で可愛く顔が小っちゃかったです。

若さ溢れるパワーとすごく頑張っている姿にオジサンは

メロメロでした(笑)。

NHKの撮影でしたが、あだち菜うどんをとっても

気に入ってくれて嬉しかったです。

その模様は

https://www.youtube.com/watch?v=hZqbV22P4ws

 

 

夢みるアドレセンス 公式HP

 http://yumeado.com/

るるぶ つくばエクスプレス 2015年

足立区 えの木 六町 東京料理
六町 えの木 東京料理 地産地消
 

 「るるぶ」で 

東京しゃもオールスター‘s

あだち菜うどん

東京ハニーぷりん

を紹介して下さいました。

Tomシェフも緊張しながら写っています。

「るるぶ」が選んだTX沿線の地産地消店特集ページに

掲載してありますので、是非ご覧ください

奮闘記 アメリカ編 エピソード4

~2003年~

異動先はマンハッタン。

アメリカ生活も1年以上経過しホームシックや日本との遠距離恋愛ご破算なども乗り越えて、

多少はアメリカという国にも慣れてきた。

当初は言葉も物価も分からないので白タク等にぼったくられた事もあったので、

英語が流暢な日本人と行動をよくしていた。

それでもNJのFortLeeはマンハッタンとつなぐジョージワシントン橋の麓なので、

休みや仕事終わりに色んな場所へ一人でも行く事に問題がなくなってきた。

 

イーストビレッジ アメリカ 生活 マンハッタン

 

そんな矢先マンハッタンの店舗への異動が決まり、

NJの田舎暮しから、新天地である憧れの摩天楼で働けると心を弾ませていた。

場所はイーストビレッジというマンハッタンの南東部になり、

日本食の店や若者が多い街としてプチ日本人街的扱いになっている町だった。

天下のマンハッタン、凄く華やかで、

最先端な街だと憧れも期待も膨大で何より

「俺は今マンハッタンで働いている」

と日本の友達に言える事に自己満足していた。

しかし理想と現実には狭間があった。

いざ蓋を開けてみると、建造物は綺麗に見えるが、

住居も職場もとても古い建物が多く、

ゴ〇〇リやネ〇ミなどがすごい。

渋谷、新宿よりも多い。

家も家賃が非常に高価で、狭いし汚い。

当時でも、東京は高価だと世界的に言われていると聞いていたが、

この街の家賃相場は当時の為替相場的にその倍位であった。

酷い店になると、店内を猫クラスのネ〇ミが客席を横切ったりして

「ここは店内で猫飼っているの?」

って聞かれる様な店もあるのは当然の街だ。

そんな古い建物などの雑踏の中に引っ越しも済ませた。

今度の新居はNYクイーンズのアストリアだ。

下町育ちの私は、下町の雰囲気を感じられる街を選んだ。

タコス屋台やホットドック屋台、メキシカンやイタリアン、中華の

料理屋などがあり、最高に落ち着く街で落ち着けた。

マンハッタンには人種の坩堝というだけあって

アメリカ以外にも中国、メキシコ、ブラジル、インド、イタリア、イスラエルなど

多くの国の人が出入りを繰り返している。

それだけにチャンスを掴んだ人もいるが

その10倍以上の人間が挫折を味わうのも特徴の街だ。

職場も古い建物で厨房は地下にあった。

厨房で働くのは日本人3人とアミーゴ。

アミーゴは

日本語ペラペラで寿司まで綺麗に握れるアンブロッシオ28歳メキシコ人、

自分の名前や数字すら読み書きできないヨハニ24歳グァテマラ人、

陽気なメキシコ人だがシャイでうどん好きな〇〇26歳メキシコ人がいる。

(〇〇の名前が思い出せない((+_+)))

 

ある日、そのヨハニ達と彼ら常連のクラブに遊びに行く事になった。

ブルックリン奥地でヒスパニック系と黒人しかいないエリアにある店だった。

 

そしてクラブに集う人達はすご~く強面ばかり。

「や、や、やばい所に来ちゃったかな~?アジア人は勿論、肌の色が薄い人間は私だけ・・・・(ー_ー)!!」。

内心

「もしかしたら騙されて連れてこられちゃったのかな~」

等といった不安がよぎりながら、

ドキドキしていたら

ヨハニがBOSS的雰囲気を持った超怖そうな奴と一緒にやってきた。

「これはマジやばい。逃げようがない、腹を括るしかない」

などと考えていた。

するとヨハニが

「彼は一緒に働いている仲間なので宜しく」

など互いの紹介をした。

その時は理解できないまま、

BOSS的な男Dと挨拶した。

酒の力を借りて強気にならないとダメだと思い、

すかさずコロナをがぶ飲みしだしたらDが

「酒好きなんだ、これはどう?」

と言ってテキーラをおごってくれ

メキシカンミュージックとテキーラでテンション上がり調子でてきた。

そこからは美女Mを連れてきてくれて、

ワチャータやサルサのダンスレッスンをマンツーマンでしてくれたり、

テキーラで盛り上がったりと

最初の不安が嘘の様に吹っ飛び最高にエンジョイした。

楽しい時間は早く、

明け方になってきたので翌日の仕事の事も考え帰宅する事にした。

ふと、

どうやって来たか道を覚えていない事に気付いた。

「タクシーに乗って帰れるから」

とヨハニ達に伝え帰ろうとすると

Dが

「待て」

という。

これはまさか楽しい時間の後にくる

浦島太郎儀式?なのかと焦りながら、

「え?タクシーで帰るから大丈夫だ」

「いや、ダメだ。ちょっと待て」

等とやり取りをしたら

彼がタクシーをつかまえ運転手に何か話している。

話が終わり乗って大丈夫というので彼らと別れ、

一人タクシーで家に向かった。

 

暫くすると運転手が話しかけてきた。

「どこ出身だ?」

「日本だよ。お前は?」

「エルサルバトル。なんであそこにいたんだ?」

「友達がいたから遊びに行ったんだ」

「どうだった?」

「楽しかった」

などと会話をしていたら彼が話し出した、

「あの辺りににオリエンタルがいること自体が珍しい、

観光客がたまに来ると、お金取られるのは当たり前。

女なら身体を、男なら命をって事も少なくない。

タクシーでも危険な事件はよくある。

一人歩きは本当に危ないから気を付けろ。」

などと語りだした。

そんな事言われても返答に困っていたが

酔って調子に乗ってしまっていたので

「なんでお前は俺から金を取ろうとしないの」

と尋ねてしまった。

3秒位の沈黙があり

「お前はDの友達だ。彼からちゃんと送り届けろと言われた」

「なんで彼の言う事を守るの?」

「Dはあの辺りのBOSSだ、彼を敵に回したらあの辺りで生きていけない。」

と言い、Dから

「こいつは俺の大事なツレだから、絶対に変な事するんじゃね~ぞ。ここから$20でアストリアまでいけるだろ、それ以上取るな」

と命じられた事を彼は語った。

確かに厳つい感じの人であったが予想以上に町中で特にアウトサイドで有名人だったみたいだ。

翌日ヨハニに聞いたら、

Dはオリエンタルが殆ど足を踏み入れない場所に来てくれた事が嬉しかったみたいでとても親切にしてくれた様だった。

彼がいなかったら、果たして安全に帰宅できたかも分からないけど、

そんな初対面の日本人にも良くしてくれた彼の優しさや出会いに感謝した。

その後何度かそこに遊びに言ったのは言うまでもない。

あんな場所へ出かけること自体おかしい事だけどこの経験は凄く濃い思い出になった。

そんな明と暗が共存している町がNY。

日本のマスコミでやっている様な綺麗なだけでないのがこの街の実態だ。素敵な事も多いが、

危ないと言われている場所には近づかない方が良い。

特に観光などでは、日本外務省や大使館が危険だと言う地域への出入りは本当に危険だ。

今回はたまたま運が良かっただけの出来事だった。

あれから10年以上、その後のDがどうしているのか全く分からない。

もしかしたら刑務所であっても不思議ではないが、

いつか機会あれば酒を組み交わしたい男の一人との出会いであった。

特別限定酒

特別限定酒



本日入荷!!

《無病息災》《商売繁盛》へ願いを込めた純米吟醸生原酒!!
立春の日の早朝に搾りあがった生酒をご祈願したありがたいお酒です。
ご来店お待ちしております(*^^*)

鈴木選手&仁科氏

サッカー 浦和レッズ 鈴木啓太 ゑの木 支援 東日本大震災
サッカー 浦和レッズ 鈴木啓太 ゑの木 支援 東日本大震災
サッカー 浦和レッズ 鈴木啓太 ゑの木 支援 東日本大震災
サッカー 浦和レッズ 仁科ひとみ ゑの木 支援 東日本大震災

    

 

東日本大震災の後、2011年3月29日にA代表とJリーグ選抜によるチャリティーマッチが開催された。

私の友人が働く六本木のクラブで、

「観戦イベントをやるので来て」との言葉に誘われ、

友人たちと参加。お酒を飲みながらカズさんの有志に胸が熱くなっていた。

そして、カズGOALに感動しながら試合終了の熱気やまぬ中、

浦和レッズで大活躍していた鈴木啓太選手がステージに登場に

会場のボルテージは最高潮。

そして彼は

「東日本大震災の被災者へ向けて、改めて黙祷させて下さい」

と言い

「黙祷」。

その後、彼は

「本当はあのピッチに立ちたかったです」

「でもまだまだだという事なので、もっともっと練習します」

拍手や声援。

「今日はピッチに立てなかった分、東日本大震災被災者へ向けて

ここで自分のユニフォームをチャリティーオークションしたいと思います」

サプライズイベントで会場は超盛り上がり、

オークションが始まった。

1万円、1万5千円、2万、3万、3万5千・・・・・・・・・。

あっという間に価格は上がり、

「△△△円。」と叫び、

落札したのは私だった。

普段は財布にお金入っていない私が

ちょうど、この日は震災復興募金をしようと現金を持っていたので、

落札できたのだ。

そこで彼は

「この金額と同額、自分も出して、これを赤十字社に寄付します。」

「落札した貴方は壇上に来て下さい。」

私が上がり、マイクを渡されたので、

ドラえもん募金しようと現金を持っていた事、

一緒にいた友人の身内が被災した事、

自分の師匠も被災して学校体育館で避難生活している事など話した。

そして啓太選手がユニフォームにサインして下さり、

握手と写真を撮って彼は降壇した。

サインを頂いたユニフォームを広げ皆へ見せると、

会場は歓声が広がった。

そしていつかこのユニフォームを持って

被災地へ支援しに行きたいと考えている事を話し、

この場にいる全ての方へ、このユニフォームへコメントでもサインでも

寄せ書きでも書いて欲しいとお願いし、見ず知らずではあったが心一つになった

人たちの気持ちを一枚のユニフォームにまとめた。

その中にはちょうどACのCMで話題だった仁科ひとみさんもいらっしゃり、

コメントや写真も快く引き受けてくれた。

鈴木啓太選手は気さくで、男前だった。

仁科ひとみさんは、とてもチャーミングでいい匂いした。

 

結果的には偽善なのかどうかは分からない。

そして自分自身裕福で兼ね余っていた訳でもなく、

震災後の営業は最悪な状態で、毎日酒を大量に飲まないと眠れない日々が続いていた。

でも、命は残った、家族も残った、店も家も無事に使える。

そんな状況で大きなことは出来ないので、小さい出来ることを探したら、

ちょうどここにあった。六町という街で商売をしている物が六本木で少し、

世の中の事を考えてみた。

未だに正解は分からないが、

自分なりの答えは出してみた。

だからこそ、今を全力で頑張り、

自分に正直に、自分の未知なる力と運を信じ

一生懸命やり抜き、満足出来るように行き抜き、

いつか死ぬときは笑顔で最期を迎えられる人生を送りたいと

本気で生き抜いて行く事を心に刻める

機会であった。

 

 

奮闘記 アメリカ編 エピソード3

~2002~

割れたビール瓶事件。

アメリカ生活半年、日本との遠距離恋愛も電話や手紙の交換を順調に続け、

ホームシックも拭い去ってきた。友達も何人か出来てきて、

英語は全然話せないままであるがスペイン語には多少慣れてきた。

休みの日は日本人が一切いない環境を求め電子辞書片手にスポーツバーなどで

アメリカ人とコミュニケーションをとる事が一人で出来るようになり、

楽しさを感じ始める様になってきた。そんな毎日の中、職場で「やばい(>_<)」と感じる事件が起きた。

 

ビール ゑの木 アメリカ 六町

 

この日は

仲の良い先輩 M氏と

アル中エクアドル人 ルイスと

19歳のエルサルバトル人 アグスティーンと

アルバイトのホールスタッフ2人と

私の6人がディナー時のメンバー。

ランチは忙しかったが夜は滅法暇で、

片付けの掃除しながら先輩とこの後マンハッタンに飲みに行く話で盛り上がっていた。

日本同士なので日本食居酒屋か日本人ピアノバーか同グループ運営のカラオケのどれのしようか呑気に話し、

もうお客様もいないからと不謹慎ではあるがビールも飲みだしていた。

(社長ごめんなさい、もう時効だと思い書きました)

片付けも終盤になってきたので、掃除しに行ったら一人アミーゴがいない、

片付けも進んでいない。そこにいたのはルイスだけだった。

※アミーゴはスペイン語で友達。

当時は共に働く中南米ヒスパニック系の人を愛情込めてアミーゴと呼んでいた。

ルイスは数日前にグリーンカードを取得できたから、

身分証明書を改めて持ってきて、

「今日から本名のルイスになった、これからはルイスと呼んでくれ」

と発表しその日までカルロスの名で定着していた彼の呼び名はルイスに変わった。

面接当初が偽造なのか、はたまた新しい方が偽造なのか、

それとも改名したのか等の真偽は未だに謎のままだが、

そんなグレーなのはこの国では日常茶飯事な事なので、

ルイスという新名を受け入れた。

正直ビックリしたが、長年暮らしている人たちはさも当たり前の様に接しているので郷に従った。

そんなルイスに

「アグスティーンはどこ行った?」

「裏の系列店舗に行ったよ」

「分かった、見てくる」

と告げ、寿司や丼のファストフード屋である系列店舗に足を運んだ。

しかしその店は1時間閉店が早いせいか真っ暗でもぬけのからだった。

ルイスに

「いなかったよ」

「それじゃあ、地下の駐車場じゃないかな~?」

と新情報を聞いたので駐車場に行った。

アグスティーンはまだ19歳だが半年前に入国し、

ちょっと一人歩きでは怖い地域に住んでいるヤンチャな若者だ。

でもやる気も素質もあったので結構可愛がり色んな仕事も教え、

二人で遊びに行ったりもする仲になっていた。

ハーレム 危険

 

そんな彼を探したら駐車場にいた。

系列店舗のアミーゴ達3人と酒盛りをしていた。

ちょこっと酒も入って強気になってしまっていた私はついカーっとなってしまい、

彼を見つけるなり

「仕事終わってないのに何やってるんだー」

と叫び彼のお尻を蹴ってしまった。

足を先に出してしまった私が悪いのだけど彼も酒が入っているせいか、

顔付きが急変し持っていたビール瓶を地面に叩きつけ

刃物となったその先を私の胸元に突き付けてきた。

 

ビール 瓶

 

これは「ヤバい」。仲も良かったし、

仕事をきちんとヤレと言う意味でやったつもりが、

とんでもないことになった。しかも凶器を胸元に突き付けられている。

「ど~しよう?ど~しよ~?」

心に思った言葉は

「怖い、ごめんなさい」

でも口から出た言葉は日本語で

「ヤレルもんなら、やってみろ❢❢」

であった。

啖呵をきってしまいながら、

内心はオシッコ漏らしそうにびびり

「何を言ってるんだ、本当に刺されたらどうしよう?\(゜ロ\)(/ロ゜)/」

等という本音と裏腹に

胸を突き出して、

距離を20cm程度に詰めてしまった。

顔と行動は怖がっていないふりをしていたが、

大きく動揺していた。

それを察してかどうかは定かでないが、

一緒に酒盛りをしていたアミーゴ達が中に入ってくれ、

瓶を取り上げてくれた。

「よかった~」

と吐息を漏らしながら、

すかさず、

アグスティーンの肩を抱き「蹴ったのは悪かった、

でも仕事はきちんとやろう」となだめ、

どうにか一件落着した。

これ以降も彼とは仲良くやっていけたが、

今回の事件から色んな反省点が見えたので

もうこんな怖い思いはこりごりだと深く心に刻んだ。

 

その数日後には遠距離恋愛がフラれて破局という、

もっともっと怖い運命が待ち受けている事は、

まだ微塵も感じずそっと胸をなでおろし、

その晩は先輩と居酒屋で二日酔いになるまで駐車場での出来事などを熱く語る一日であった。

奮闘記 アメリカ編 エピソード2

NJ バッテンラーメン アメリカ

 

~2001年~

移住初の勤務地は、

NJのFortLee

にあるラーメン中心の店だ。

開店1ヶ月未満の新店舗だ。

最初に驚愕したのは、従業員に米国人が一人もいない事であった

。スタッフは、社員とアルバイトは基本的に日本人、

他はキッチンの下働きとしている

アル中のエクアドル人、

力士の様な巨漢で見た目怖いが心優しいエルサルバトル人、

若いヤンチャなエルサルバトル人

という英語苦手な中南米ヒスパニック系3人であった。

そんな環境なので英語での会話も一切ない。

お客様と接するアルバイトは語学堪能なので、

厨房内のコミュニケーションはもっぱら日本語かスパニッシュ。

朝出勤しての挨拶は「オラ」「ブエノスディアス」「おはよう」のどれか、

当然英語も知らない私はスペイン語も全く分からなかったので、

仕事覚えると同時にスペイン語の勉強もしざるおえない状況かこまれた。

NYやNJでもマンハッタン近郊は外国人比率が高く、生活環境によれば米国人と交流を一切しない日も少なくない。

系列店から応援に来てくれている日本人上司達は

何十年もアメリカ在住であるが日本語の訛りがすごい、しかも二人ともだ。

英語やスペイン語よりも上司である彼らとのコミュニケーションを取ることの方が難しく、

同僚が彼らと同郷に近かったので同時通訳をしてくれたが、

彼がシフト等でいない時の彼らとの世間話のヒアリングには日々困惑だったが、

二人とも凄く愉快で良い人達で良かった。

そんな職場でのとある日、

暇な時間帯にバイト一人と厨房が私一人で他は休憩に入っている時に、

アジア人が多い街であったが、珍しく米国人白人が一人で来店した。

最近は箸を使える人は増えているし、

一人での来店なのでこなれているんだろうな~と思っていた私は

、オーダーの【とんこつラーメンと餃子】を作り提供した。

彼は食べ方分からない様でホールスタッフに確認してから食べだした。

最初箸を使ってみたが、どうにも使いこなせない。

迷った彼はレンゲでスープを

一口、二口と飲みだし、いや、待てよ三口、四口・・・・・・

スープだけ全部先に飲んだのだ。

そして餃子をレンゲで食べ、

器から具だけを餃子の器に盛りかえて食す。

スープが全くなくなり、伸びきってしまった麺はレンゲでも切り易くなったのか、

雑炊をレンゲで食べる様に食べだした。

途中でスープ無いせいか、餃子のたれを麺にかけて食した。

ゆっくりと食べたからか、45分程かけて満足げな笑顔で完食。

そして食後はやっぱりコーラであった。

前菜・スープ

焼物・餃子

煮物・チャーシューなどの具材

主菜・麺

甘味・コーラ

アメリカ ラーメン バッテン

なんと箸が使えないからか、

彼の性格なのか、

ラーメン&餃子をコース仕立てにして食べあげたのだ。

これに対して当初「え~((+_+))」って思ったが

自分の先入観でスープは冷めないうちに、

麺は伸びないうちに等と思い込んでしまっていたが、

人の考え方って自由だし、当たり前と思い込んでいる事が

逆に進化を妨げる可能性もあるのかな~と考えさせられる一件であった。

その後のまかないで真似をしてみたが個人的には普通に食べた方が美味しく感じた。

そして翌日から店にはお客様用のフォークを用意したのは言うまでもない。

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