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奮闘記 アメリカ編 エピソード4
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奮闘記 アメリカ編 エピソード4

~2003年~

異動先はマンハッタン。

アメリカ生活も1年以上経過しホームシックや日本との遠距離恋愛ご破算なども乗り越えて、

多少はアメリカという国にも慣れてきた。

当初は言葉も物価も分からないので白タク等にぼったくられた事もあったので、

英語が流暢な日本人と行動をよくしていた。

それでもNJのFortLeeはマンハッタンとつなぐジョージワシントン橋の麓なので、

休みや仕事終わりに色んな場所へ一人でも行く事に問題がなくなってきた。

 

イーストビレッジ アメリカ 生活 マンハッタン

 

そんな矢先マンハッタンの店舗への異動が決まり、

NJの田舎暮しから、新天地である憧れの摩天楼で働けると心を弾ませていた。

場所はイーストビレッジというマンハッタンの南東部になり、

日本食の店や若者が多い街としてプチ日本人街的扱いになっている町だった。

天下のマンハッタン、凄く華やかで、

最先端な街だと憧れも期待も膨大で何より

「俺は今マンハッタンで働いている」

と日本の友達に言える事に自己満足していた。

しかし理想と現実には狭間があった。

いざ蓋を開けてみると、建造物は綺麗に見えるが、

住居も職場もとても古い建物が多く、

ゴ〇〇リやネ〇ミなどがすごい。

渋谷、新宿よりも多い。

家も家賃が非常に高価で、狭いし汚い。

当時でも、東京は高価だと世界的に言われていると聞いていたが、

この街の家賃相場は当時の為替相場的にその倍位であった。

酷い店になると、店内を猫クラスのネ〇ミが客席を横切ったりして

「ここは店内で猫飼っているの?」

って聞かれる様な店もあるのは当然の街だ。

そんな古い建物などの雑踏の中に引っ越しも済ませた。

今度の新居はNYクイーンズのアストリアだ。

下町育ちの私は、下町の雰囲気を感じられる街を選んだ。

タコス屋台やホットドック屋台、メキシカンやイタリアン、中華の

料理屋などがあり、最高に落ち着く街で落ち着けた。

マンハッタンには人種の坩堝というだけあって

アメリカ以外にも中国、メキシコ、ブラジル、インド、イタリア、イスラエルなど

多くの国の人が出入りを繰り返している。

それだけにチャンスを掴んだ人もいるが

その10倍以上の人間が挫折を味わうのも特徴の街だ。

職場も古い建物で厨房は地下にあった。

厨房で働くのは日本人3人とアミーゴ。

アミーゴは

日本語ペラペラで寿司まで綺麗に握れるアンブロッシオ28歳メキシコ人、

自分の名前や数字すら読み書きできないヨハニ24歳グァテマラ人、

陽気なメキシコ人だがシャイでうどん好きな〇〇26歳メキシコ人がいる。

(〇〇の名前が思い出せない((+_+)))

 

ある日、そのヨハニ達と彼ら常連のクラブに遊びに行く事になった。

ブルックリン奥地でヒスパニック系と黒人しかいないエリアにある店だった。

 

そしてクラブに集う人達はすご~く強面ばかり。

「や、や、やばい所に来ちゃったかな~?アジア人は勿論、肌の色が薄い人間は私だけ・・・・(ー_ー)!!」。

内心

「もしかしたら騙されて連れてこられちゃったのかな~」

等といった不安がよぎりながら、

ドキドキしていたら

ヨハニがBOSS的雰囲気を持った超怖そうな奴と一緒にやってきた。

「これはマジやばい。逃げようがない、腹を括るしかない」

などと考えていた。

するとヨハニが

「彼は一緒に働いている仲間なので宜しく」

など互いの紹介をした。

その時は理解できないまま、

BOSS的な男Dと挨拶した。

酒の力を借りて強気にならないとダメだと思い、

すかさずコロナをがぶ飲みしだしたらDが

「酒好きなんだ、これはどう?」

と言ってテキーラをおごってくれ

メキシカンミュージックとテキーラでテンション上がり調子でてきた。

そこからは美女Mを連れてきてくれて、

ワチャータやサルサのダンスレッスンをマンツーマンでしてくれたり、

テキーラで盛り上がったりと

最初の不安が嘘の様に吹っ飛び最高にエンジョイした。

楽しい時間は早く、

明け方になってきたので翌日の仕事の事も考え帰宅する事にした。

ふと、

どうやって来たか道を覚えていない事に気付いた。

「タクシーに乗って帰れるから」

とヨハニ達に伝え帰ろうとすると

Dが

「待て」

という。

これはまさか楽しい時間の後にくる

浦島太郎儀式?なのかと焦りながら、

「え?タクシーで帰るから大丈夫だ」

「いや、ダメだ。ちょっと待て」

等とやり取りをしたら

彼がタクシーをつかまえ運転手に何か話している。

話が終わり乗って大丈夫というので彼らと別れ、

一人タクシーで家に向かった。

 

暫くすると運転手が話しかけてきた。

「どこ出身だ?」

「日本だよ。お前は?」

「エルサルバトル。なんであそこにいたんだ?」

「友達がいたから遊びに行ったんだ」

「どうだった?」

「楽しかった」

などと会話をしていたら彼が話し出した、

「あの辺りににオリエンタルがいること自体が珍しい、

観光客がたまに来ると、お金取られるのは当たり前。

女なら身体を、男なら命をって事も少なくない。

タクシーでも危険な事件はよくある。

一人歩きは本当に危ないから気を付けろ。」

などと語りだした。

そんな事言われても返答に困っていたが

酔って調子に乗ってしまっていたので

「なんでお前は俺から金を取ろうとしないの」

と尋ねてしまった。

3秒位の沈黙があり

「お前はDの友達だ。彼からちゃんと送り届けろと言われた」

「なんで彼の言う事を守るの?」

「Dはあの辺りのBOSSだ、彼を敵に回したらあの辺りで生きていけない。」

と言い、Dから

「こいつは俺の大事なツレだから、絶対に変な事するんじゃね~ぞ。ここから$20でアストリアまでいけるだろ、それ以上取るな」

と命じられた事を彼は語った。

確かに厳つい感じの人であったが予想以上に町中で特にアウトサイドで有名人だったみたいだ。

翌日ヨハニに聞いたら、

Dはオリエンタルが殆ど足を踏み入れない場所に来てくれた事が嬉しかったみたいでとても親切にしてくれた様だった。

彼がいなかったら、果たして安全に帰宅できたかも分からないけど、

そんな初対面の日本人にも良くしてくれた彼の優しさや出会いに感謝した。

その後何度かそこに遊びに言ったのは言うまでもない。

あんな場所へ出かけること自体おかしい事だけどこの経験は凄く濃い思い出になった。

そんな明と暗が共存している町がNY。

日本のマスコミでやっている様な綺麗なだけでないのがこの街の実態だ。素敵な事も多いが、

危ないと言われている場所には近づかない方が良い。

特に観光などでは、日本外務省や大使館が危険だと言う地域への出入りは本当に危険だ。

今回はたまたま運が良かっただけの出来事だった。

あれから10年以上、その後のDがどうしているのか全く分からない。

もしかしたら刑務所であっても不思議ではないが、

いつか機会あれば酒を組み交わしたい男の一人との出会いであった。

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