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奮闘記 アメリカ編 エピソード6

恐怖から生まれた知恵~

 

パッと頭を過ったのは、ミラノへ行った時に歩いていたら、

ホームレス10人位に囲まれて、お金を要求された時の事だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

2002年・冬・マンハッタンにて

 

今日一緒に飲む相手は、NJで勤務している後輩だったので、

仕事終わりにホットコーヒーを買い、待ち合わせのバスターミナルに着いたのは、夜12時近くになっていた。

そんな折に、彼からバスで到着まで30分以上かかりそうだと連絡を受けた。

NJから来てくれるので、遅くなるかもとは当初から聞いていたので、待ち時間で新聞を読もうと持参していた。

NYは寒い、この日も寒かった。紙カップに入ったコーヒーをクルクルと回しながら手を温め、指先の感覚が楽になって来たので、

ターミナル前の花壇縁に腰をかけ、新聞を広げて読みだした。

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新聞と言っても、日本語のジャピオンという生活した事ある日本人にはとても有名なフリーペーパーで、

10分位日本人スポーツ記事を読んでいると、

格闘技のK1で活躍されたレミーボンヤスキーさん似で、身長2メートルはありそうな人が近づいてきた。

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私の隣にワザとらしいさり気無さで座って、声をかけてきた

「ハロー。何してるの」

私は特に嘘を付く事もなく、普通に「友人を待っているんだよ」と答え、

「そうかぁ、俺ももうすぐLAから友達が来るから、その迎えに来たんだ」

すごくデカいし、強面だし、あまりいい予感しなかったので、早く会話切り上げたいと思った私は、

「そう、それは良かった。じゃあ俺も友達を待っているから。そして君も友達との楽しい時間を過して。」

と話を切り上げた。つもりだったが、

彼はまだ会話を続けた。

「実は俺昨日から何も食べていなくて・・・・・」「ふ~ん」

「それで友達が、もうすぐ来るって言ったじゃん」「ふ~ん」

「だけど、昨日から飯食えていない俺はお金がないから、友達にご飯を食べさせてあげられないんだ」「ふ~ん」

もうここまで来ると、次に言うセリフは当然、

「だから、お金ちょうだい」 あ~、やっぱり、

すかさず「ごめん、嫌だ」と答えると、

彼は立ち上がり、他の通行人や私の様に腰掛ける人に声をかけ出した。

ちょうどバスが着いたのか、人通りが多くなったので、

友達到着するんじゃないのか~と思っていたが、彼は色んな人に声をかけていた。

15分もすると人気は全くなく、さっきの人も色々断られていたっぽいけど、

視界からは消えたので、まぁ友達と会えたのかな~と思い、

こっちの後輩はまだ来ないと新聞を読み続けていると、

さっきの人が視界に入ってきた。もうどうせ金乞いだろうと無視していたら、

私の前に来て、「皆ダメだった。お金くれ」即答で目も合わさず「NO」と言った後に、

頭を過ったのは、19歳の時に専門学校の料理研修でミラノへ行った際、

自由行動の日にホームレス10人位に囲まれて、金を要求された。

子供も大人もいたが、そんな人数で一人を囲むのは、日本で言うところのカツアゲと全く変わらない。

19歳だったし、事実お金持っていないし、1円も払いたくないので、

日本語を大声で怒鳴り、周囲の注目を集めなんとか切り抜ける事ができた。

しかし、今はバス到着後の人波もなく、深夜という事もあって、

周囲には人気がない。都会の屋外であるにも関わらず、半径5m以内は

奴と私しかいない状況で、「NO」と言われた事に対し、鬼の形相になっている2メートルの

大男が目の前に立っているのだ。心の中でヤバイ、感じた瞬間。

彼は私の新聞を取り上げ、横に置いてあるコーヒーと共に、

地面に投げつけた。やばいよ~やばいよ~と焦りが募った瞬間に、

立ち上がった私の口から出た言葉は、放送禁止用語での罵りだった。

やっべ~、火に油注いじゃったと、極寒のNYで汗びっしょりの私に彼は、

いきなり胸ぐらをつかみ、今にも襲われそうになってしまった。

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170cmの小太りの日本人と2mはあるレミボンヤスキーさん似の黒人、

 

胸ぐらつかまれ、足が軽く浮く、人気がほとんどない。

ケンカして敵う算段もどうしても着かない。絶体絶命だと顔面蒼白になっていた。

その1~2秒位の間に、一筋の光明を見出した。

お金を払うのは悔しいし、本気のケンカしたくないし、相手が悪いのに謝りたくない、

日本人として馬鹿にされたくない。

そこで考えた苦肉の策が、近くにタクシーが何台か客待ちで停まっているのが見えたので、

彼らに届くように、彼の胸ぐらをつかみ返しながら、腹の底から声を張り上げて、

日本語で怒号を放った。私が殴られるのと、タクシーの運転手達が駆けつけてくれるのとは

カケであったが、泣き寝入りだけはしたくないと、虚勢を張った。

その後の数秒間は何時間にも感じる位長く感じていたが、

彼が拳を振り下ろす前に、タクシーの運転手達3人が駆け寄ってくれた。

「お前ら何やってんだ、ポリス呼ぶぞ」との運転手からの言葉に、

彼は手を放し、バスターミナルとは別方向へ去って行った。

友達の話はなんだったんだ?そうれ自体嘘?ただ単に金乞いだけ?など

今でも真相は分からないし、さほど興味ないけど、

来てくれたタクシーの運ちゃんと話すときは、まだ心臓バクバクと音が聞こえる位になっていたけど、

「本当にありがとう。来てくれなかったら、俺死んでいたかも」などと言ったら、

彼らも「間に合って、良かった」などと和む事ができた。

あの大声が間に合わなかったらと思うとゾッとするけど、

なんとかなって良かった機会だった。

当然、そのあと後輩と飲んだ時は終始その恐怖体験が酒の肴になったのは、言う迄もないです。

その後、他の場所で同様に金乞いにあった時は、

罵声、怒号などすると、心身共に疲れるし、下手したら命の危険を感じると思ったので、

大事に至らなかったが、今回の事を教訓に思いついた技での対応を画策した。

 

それを使う機会はさほど遠くはなかった。

場所も季節も違ったが、また人気がない所で、

「俺、昨日から何も食っていないから、お金くれよ~」と

近づいてくる男がいた。

そこで私は

「え~、まじ~、俺も、俺も。俺は3日前から飯食ってないんだよ~。

なんか食い物でも良いから頂戴」って返した。

相手は焦って&笑って、和やかな雰囲気に慣れた。

 

これを機に、口頭で金乞いには、この作戦を今でも実用しています。

やっぱり、日本人なら払うだろ~と思われたり、日本人はカモと思われるのも癪だし、

ケンカになっても勝ち目が薄い場合も多いし、凶器を持っている場合もある、

それらに対抗するには笑いにする事が一番平和な解決なんだと思う知恵でした。

お笑い芸人さんみたいに高度な笑いはできませんが、

危険回避はユーモアで対応できる人を今後も目指していきます。

 

何か、おすすめの危険回避方法ご存知の方は教えて下さい。

 

※※※レミーボンヤスキーさんはお会いした事ありませんが、本当の格闘家だし、

スポーツジムのサウナで会った事のある友人はとてもいい方だったとの美談ありましたので、

絶対こんなことしない方だと思います。たまたま顔つきが近しい気がしたので紹介させて頂きました。

 

奮闘記 アメリカ編 エピソード5

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人生は前を向き続けるつもりでいるが、今でも反省している事件があった。

 

 

 

マンハッタンの店に来てからまとめてサマーバケーション(夏休み)をもらえるという事で、先輩と友人たちでラスベガスに旅行に行く事にした。

 

私は、皆は2泊3日でしたが、私は休みを丸々ベガスで過ごすべく2日多い5泊にした。

JFK空港から飛び立つ為に、登場手続きを済ませ、搭乗口で珈琲をすすりながら、一人旅も何度かはしているが、語学には未だ自身が全くないし、

アメリカでの国内航空旅行はじめてで大丈夫かな~っと、一抹の不安を感じている時、場内アナウンスから、私の名前が呼ばれた。

日本でも、他国でも、搭乗口でアナウンスされた事がなかったので「え?何?なに?」と言いたいが、一人なので、心の中で言い、搭乗ゲートの案内職員のところへ向かった。

グランドホステスさんに、航空券を見せると、色んな事を言っている。

電子辞書(当時はスマホなどない時代なので、常備必需品)とジェスチャーで話を聞くとどうやら、

エコノミーで予約している私の席が、手違いでブッキングしてしまい、無くなってしまった。そのままエコノミーが良いなら、次の便になるしかない。

「は~、ふざけんな!」と言葉には出さず、頭の中で止め、話の続きに耳を傾けた、

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そこで提案されたのが、航空会社のミスで席が確保できなくなってしまったので、

代わりの席を用意するので、そっちに行ってくれれば、今回のフライトで大丈夫という事でした。

皆が来るのは2日後なので、到着しても予定ないので、次の便にしても大差なかったかもしれないが、補助席程度のでも用意してくれるというなら

人生経験の一つとして、簡易シートに座ってみるのも悪くないと考え、「ま~仕方ないか~」と提案を受け入れた。

 

搭乗案内され、新しいチケットをCAに見せると、こっちじゃない、あっちですよと、カーテンの先を案内された。そこは、補助席でもなんでもなく、

 

私の様な庶民は、乗ったことのないビジネスクラスの席が用意されていた。(この機は国内線でファーストクラス無し)

座ったら、スグにフライト前のウエルカムシャンパンが出て来るし、機内食もオードブルから一品ずつ出てくるし、映画なども最高  ^^) _旦~~、

「至れり尽くせり~」

残念な機内を覚悟していた分、すご~~~~くセレブな気分で快適な旅を体験できました。(人生初で、まだ2回目がない、エコノミー以外の素敵な機内席)

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良い意味で想定外の、フライトで幸先良いなとラスベガスの町に着き、安ホステルの部屋を選び、

早速ラッキーが続いてくれると安易に、カジノホテルのブラックジャック卓に。

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一瞬増えたりもしたが、見る見るうちに持ち金を失い、大敗。

やむなく、カジノ場を後にし、無料で楽しめるショーやホテルのイベント巡りと、安飯を喰らい、貧乏一人旅を満喫し、就寝。翌日の昼間も同様な感じでした。

 

仕事はずっと続けていたが、貯金もない24歳は、なけなしの金を全額持参で、ベガスで増やせばいいなどと楽観的な旅に出ていた。

そして翌日には皆と合流する、でも手持ちが300ドル程度しか残っていない、ちょっとずつ一攫千金をと考えて、ちょこちょこカジノで勝負していると、

残金が50ドルのみになってしまった。

 

預金もなし、給料日まではまだ2週間以上ある、皆が来ても金がない、皆が来るまでも半日以上ある、

「ど~しよ~×2」と、アワワしている時に、ふと思いついたのは、いっそのこと、勝負してみよう。駄目なら今日は水道水だけで過ごし、

明日は明日考えようと覚悟決め、全財産でも、たったの50ドル、しかし今はされど50ドル、

これで最後の勝負‼と、

一点全額勝負に出たら、なんとか勝つことができて、どうにか10倍以上になってくれたので、後を考えていない私は

また安易にビールとステーキという散財を楽しみに行く事ができました。

 

飛行機で使い果たしていたラッキーを、なんとか食いつないで、皆と合流してからは楽しい旅を満喫できて、ホッと胸を撫でおろしました。

 

私と先輩の男チームは、ベネチアをモチーフにしたホテルに泊まり、The Venetian

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女子チームはミラージュホテルという、フロントで火山が爆発するデモンストレーションを楽しめるホテルです。

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どちらも先輩のカジノ来店マイルみたいなポイントがたまっていたので、全員高級ホテルなのに宿泊費が無料。(先輩、本当にありがとうございます。

 

そんなホテルや皆との大騒ぎなどで無事残りの日程を過す事ができた。

あの時、50ドル無くしていたらと思うと、その場では笑い話でしかなかったけど、

今考えると、「良く挑戦したな~」と恐怖すら感じる出来事でした。

 

そして旅行も終え、普段の生活になり、日々の仕事終わりに、

近所の友達宅で、ベロベロになって帰る生活を週2~3で続けていた。

 

そんなある日、

いつもの様に、ヘベレケになるまで酔っぱらって帰宅、酔い過ぎてしまったので、

シャワーも入らずそのまま就寝。

 

私の住む場所は、NYクイーンズタウンのアストリアに立地し、日本人オーナーが主有するシェアルームで、

借り手も日本人の男女が5人で住んでいた。以前はアメリカ人オーナー所有の部屋をシェアで住んでいたが、

仕事の関係で家賃払う時間とかが、遅くなってしまうし、こっちの方が安かったので、4か月前に引っ越ししていた。

時間の関係と日本人との交流を減らそうとしている私は、ほとんどあいさつ程度しか、同居人たちと交流していなかった。

 

そして事件は突然起きてしまった。

 

シャワーも入らずに、寝るほど酔っていたので、夜中にトイレに行きたくなった。

急いでいたので、自分の部屋を出ながら、ズボンをおろし気味にトイレへ向かい、

用をたそうとチャックをおろしながら、トイレの扉を開けた瞬間、

「ぎゃ~~~~~~~~~~~~~」と大声を叫ばれた。

「え?」泥酔状態だし、用を足したくてたまらない、そんな状況で「ぎゃ~~~~~~~~~~~~~」と大声を叫ばれた。

何が起きた?女子トイレ?いやこの家は男女兼用トイレだし、「え?」「なんで?」と冷静になれない酔っ払いは、

数秒だったか、数分だったか分からないが、「八ツ」と気が付いた。

ここはトイレでなく、私の前室に住む女性の部屋だった。酔っ払いが本気で間違えた。

すぐに「ごめんなさい」と謝り、トイレに駆け込んだ。そして部屋の前でもう一度謝ったが返答はないので、

まだ酒の残る私は瞬時に爆睡した。そこから何分か何時間かは分からないが、

大家が来て「何があった?」と事情聴取で全てそのままに話したが、

もう前室の人は襲われると思ってしまい、すぐに出ていけという事で、

その日のうちに引っ越しをしなくてはならなくなってしまいました。

 

自業自得から招いた猛省必須の事件、冷静に考えると本当に申し訳ない事をしたし、

とんでもない誤解を招くやっちまった状況であった。

 

それからしばらくは禁酒をした事はいうまでもありません。

若気のいたりとはいえ、この件は胸に刻み、2度とこのような事ない様に誓っています。

 

飛行機がアップグレードされ浮かれ、

カジノの大負けし沈み、

一発逆転でどうにか復活し浮かれ、

馬鹿みたいに大騒ぎし浮かれ、

大酒を飲みヘベレケになるまで浮かれ、

他人に大迷惑をかけ沈む。

 

犯罪はする気ないが、紆余曲折の人生は、やはり好きであるので、犯罪ではなく、

波乱万丈をこれからも続けていくのであろうが、お酒は飲んでも飲まれ過ぎない様に

気を付けた酔い方へ、これを機に変えました。

(トイレ事件はもうしません。その節ご迷惑をかけた方々、本当に申し訳ありませんでした)

奮闘記 アメリカ編 エピソード4

~2003年~

異動先はマンハッタン。

アメリカ生活も1年以上経過しホームシックや日本との遠距離恋愛ご破算なども乗り越えて、

多少はアメリカという国にも慣れてきた。

当初は言葉も物価も分からないので白タク等にぼったくられた事もあったので、

英語が流暢な日本人と行動をよくしていた。

それでもNJのFortLeeはマンハッタンとつなぐジョージワシントン橋の麓なので、

休みや仕事終わりに色んな場所へ一人でも行く事に問題がなくなってきた。

 

イーストビレッジ アメリカ 生活 マンハッタン

 

そんな矢先マンハッタンの店舗への異動が決まり、

NJの田舎暮しから、新天地である憧れの摩天楼で働けると心を弾ませていた。

場所はイーストビレッジというマンハッタンの南東部になり、

日本食の店や若者が多い街としてプチ日本人街的扱いになっている町だった。

天下のマンハッタン、凄く華やかで、

最先端な街だと憧れも期待も膨大で何より

「俺は今マンハッタンで働いている」

と日本の友達に言える事に自己満足していた。

しかし理想と現実には狭間があった。

いざ蓋を開けてみると、建造物は綺麗に見えるが、

住居も職場もとても古い建物が多く、

ゴ〇〇リやネ〇ミなどがすごい。

渋谷、新宿よりも多い。

家も家賃が非常に高価で、狭いし汚い。

当時でも、東京は高価だと世界的に言われていると聞いていたが、

この街の家賃相場は当時の為替相場的にその倍位であった。

酷い店になると、店内を猫クラスのネ〇ミが客席を横切ったりして

「ここは店内で猫飼っているの?」

って聞かれる様な店もあるのは当然の街だ。

そんな古い建物などの雑踏の中に引っ越しも済ませた。

今度の新居はNYクイーンズのアストリアだ。

下町育ちの私は、下町の雰囲気を感じられる街を選んだ。

タコス屋台やホットドック屋台、メキシカンやイタリアン、中華の

料理屋などがあり、最高に落ち着く街で落ち着けた。

マンハッタンには人種の坩堝というだけあって

アメリカ以外にも中国、メキシコ、ブラジル、インド、イタリア、イスラエルなど

多くの国の人が出入りを繰り返している。

それだけにチャンスを掴んだ人もいるが

その10倍以上の人間が挫折を味わうのも特徴の街だ。

職場も古い建物で厨房は地下にあった。

厨房で働くのは日本人3人とアミーゴ。

アミーゴは

日本語ペラペラで寿司まで綺麗に握れるアンブロッシオ28歳メキシコ人、

自分の名前や数字すら読み書きできないヨハニ24歳グァテマラ人、

陽気なメキシコ人だがシャイでうどん好きな〇〇26歳メキシコ人がいる。

(〇〇の名前が思い出せない((+_+)))

 

ある日、そのヨハニ達と彼ら常連のクラブに遊びに行く事になった。

ブルックリン奥地でヒスパニック系と黒人しかいないエリアにある店だった。

 

そしてクラブに集う人達はすご~く強面ばかり。

「や、や、やばい所に来ちゃったかな~?アジア人は勿論、肌の色が薄い人間は私だけ・・・・(ー_ー)!!」。

内心

「もしかしたら騙されて連れてこられちゃったのかな~」

等といった不安がよぎりながら、

ドキドキしていたら

ヨハニがBOSS的雰囲気を持った超怖そうな奴と一緒にやってきた。

「これはマジやばい。逃げようがない、腹を括るしかない」

などと考えていた。

するとヨハニが

「彼は一緒に働いている仲間なので宜しく」

など互いの紹介をした。

その時は理解できないまま、

BOSS的な男Dと挨拶した。

酒の力を借りて強気にならないとダメだと思い、

すかさずコロナをがぶ飲みしだしたらDが

「酒好きなんだ、これはどう?」

と言ってテキーラをおごってくれ

メキシカンミュージックとテキーラでテンション上がり調子でてきた。

そこからは美女Mを連れてきてくれて、

ワチャータやサルサのダンスレッスンをマンツーマンでしてくれたり、

テキーラで盛り上がったりと

最初の不安が嘘の様に吹っ飛び最高にエンジョイした。

楽しい時間は早く、

明け方になってきたので翌日の仕事の事も考え帰宅する事にした。

ふと、

どうやって来たか道を覚えていない事に気付いた。

「タクシーに乗って帰れるから」

とヨハニ達に伝え帰ろうとすると

Dが

「待て」

という。

これはまさか楽しい時間の後にくる

浦島太郎儀式?なのかと焦りながら、

「え?タクシーで帰るから大丈夫だ」

「いや、ダメだ。ちょっと待て」

等とやり取りをしたら

彼がタクシーをつかまえ運転手に何か話している。

話が終わり乗って大丈夫というので彼らと別れ、

一人タクシーで家に向かった。

 

暫くすると運転手が話しかけてきた。

「どこ出身だ?」

「日本だよ。お前は?」

「エルサルバトル。なんであそこにいたんだ?」

「友達がいたから遊びに行ったんだ」

「どうだった?」

「楽しかった」

などと会話をしていたら彼が話し出した、

「あの辺りににオリエンタルがいること自体が珍しい、

観光客がたまに来ると、お金取られるのは当たり前。

女なら身体を、男なら命をって事も少なくない。

タクシーでも危険な事件はよくある。

一人歩きは本当に危ないから気を付けろ。」

などと語りだした。

そんな事言われても返答に困っていたが

酔って調子に乗ってしまっていたので

「なんでお前は俺から金を取ろうとしないの」

と尋ねてしまった。

3秒位の沈黙があり

「お前はDの友達だ。彼からちゃんと送り届けろと言われた」

「なんで彼の言う事を守るの?」

「Dはあの辺りのBOSSだ、彼を敵に回したらあの辺りで生きていけない。」

と言い、Dから

「こいつは俺の大事なツレだから、絶対に変な事するんじゃね~ぞ。ここから$20でアストリアまでいけるだろ、それ以上取るな」

と命じられた事を彼は語った。

確かに厳つい感じの人であったが予想以上に町中で特にアウトサイドで有名人だったみたいだ。

翌日ヨハニに聞いたら、

Dはオリエンタルが殆ど足を踏み入れない場所に来てくれた事が嬉しかったみたいでとても親切にしてくれた様だった。

彼がいなかったら、果たして安全に帰宅できたかも分からないけど、

そんな初対面の日本人にも良くしてくれた彼の優しさや出会いに感謝した。

その後何度かそこに遊びに言ったのは言うまでもない。

あんな場所へ出かけること自体おかしい事だけどこの経験は凄く濃い思い出になった。

そんな明と暗が共存している町がNY。

日本のマスコミでやっている様な綺麗なだけでないのがこの街の実態だ。素敵な事も多いが、

危ないと言われている場所には近づかない方が良い。

特に観光などでは、日本外務省や大使館が危険だと言う地域への出入りは本当に危険だ。

今回はたまたま運が良かっただけの出来事だった。

あれから10年以上、その後のDがどうしているのか全く分からない。

もしかしたら刑務所であっても不思議ではないが、

いつか機会あれば酒を組み交わしたい男の一人との出会いであった。

奮闘記 アメリカ編 エピソード3

~2002~

割れたビール瓶事件。

アメリカ生活半年、日本との遠距離恋愛も電話や手紙の交換を順調に続け、

ホームシックも拭い去ってきた。友達も何人か出来てきて、

英語は全然話せないままであるがスペイン語には多少慣れてきた。

休みの日は日本人が一切いない環境を求め電子辞書片手にスポーツバーなどで

アメリカ人とコミュニケーションをとる事が一人で出来るようになり、

楽しさを感じ始める様になってきた。そんな毎日の中、職場で「やばい(>_<)」と感じる事件が起きた。

 

ビール ゑの木 アメリカ 六町

 

この日は

仲の良い先輩 M氏と

アル中エクアドル人 ルイスと

19歳のエルサルバトル人 アグスティーンと

アルバイトのホールスタッフ2人と

私の6人がディナー時のメンバー。

ランチは忙しかったが夜は滅法暇で、

片付けの掃除しながら先輩とこの後マンハッタンに飲みに行く話で盛り上がっていた。

日本同士なので日本食居酒屋か日本人ピアノバーか同グループ運営のカラオケのどれのしようか呑気に話し、

もうお客様もいないからと不謹慎ではあるがビールも飲みだしていた。

(社長ごめんなさい、もう時効だと思い書きました)

片付けも終盤になってきたので、掃除しに行ったら一人アミーゴがいない、

片付けも進んでいない。そこにいたのはルイスだけだった。

※アミーゴはスペイン語で友達。

当時は共に働く中南米ヒスパニック系の人を愛情込めてアミーゴと呼んでいた。

ルイスは数日前にグリーンカードを取得できたから、

身分証明書を改めて持ってきて、

「今日から本名のルイスになった、これからはルイスと呼んでくれ」

と発表しその日までカルロスの名で定着していた彼の呼び名はルイスに変わった。

面接当初が偽造なのか、はたまた新しい方が偽造なのか、

それとも改名したのか等の真偽は未だに謎のままだが、

そんなグレーなのはこの国では日常茶飯事な事なので、

ルイスという新名を受け入れた。

正直ビックリしたが、長年暮らしている人たちはさも当たり前の様に接しているので郷に従った。

そんなルイスに

「アグスティーンはどこ行った?」

「裏の系列店舗に行ったよ」

「分かった、見てくる」

と告げ、寿司や丼のファストフード屋である系列店舗に足を運んだ。

しかしその店は1時間閉店が早いせいか真っ暗でもぬけのからだった。

ルイスに

「いなかったよ」

「それじゃあ、地下の駐車場じゃないかな~?」

と新情報を聞いたので駐車場に行った。

アグスティーンはまだ19歳だが半年前に入国し、

ちょっと一人歩きでは怖い地域に住んでいるヤンチャな若者だ。

でもやる気も素質もあったので結構可愛がり色んな仕事も教え、

二人で遊びに行ったりもする仲になっていた。

ハーレム 危険

 

そんな彼を探したら駐車場にいた。

系列店舗のアミーゴ達3人と酒盛りをしていた。

ちょこっと酒も入って強気になってしまっていた私はついカーっとなってしまい、

彼を見つけるなり

「仕事終わってないのに何やってるんだー」

と叫び彼のお尻を蹴ってしまった。

足を先に出してしまった私が悪いのだけど彼も酒が入っているせいか、

顔付きが急変し持っていたビール瓶を地面に叩きつけ

刃物となったその先を私の胸元に突き付けてきた。

 

ビール 瓶

 

これは「ヤバい」。仲も良かったし、

仕事をきちんとヤレと言う意味でやったつもりが、

とんでもないことになった。しかも凶器を胸元に突き付けられている。

「ど~しよう?ど~しよ~?」

心に思った言葉は

「怖い、ごめんなさい」

でも口から出た言葉は日本語で

「ヤレルもんなら、やってみろ❢❢」

であった。

啖呵をきってしまいながら、

内心はオシッコ漏らしそうにびびり

「何を言ってるんだ、本当に刺されたらどうしよう?\(゜ロ\)(/ロ゜)/」

等という本音と裏腹に

胸を突き出して、

距離を20cm程度に詰めてしまった。

顔と行動は怖がっていないふりをしていたが、

大きく動揺していた。

それを察してかどうかは定かでないが、

一緒に酒盛りをしていたアミーゴ達が中に入ってくれ、

瓶を取り上げてくれた。

「よかった~」

と吐息を漏らしながら、

すかさず、

アグスティーンの肩を抱き「蹴ったのは悪かった、

でも仕事はきちんとやろう」となだめ、

どうにか一件落着した。

これ以降も彼とは仲良くやっていけたが、

今回の事件から色んな反省点が見えたので

もうこんな怖い思いはこりごりだと深く心に刻んだ。

 

その数日後には遠距離恋愛がフラれて破局という、

もっともっと怖い運命が待ち受けている事は、

まだ微塵も感じずそっと胸をなでおろし、

その晩は先輩と居酒屋で二日酔いになるまで駐車場での出来事などを熱く語る一日であった。

奮闘記 アメリカ編 エピソード2

NJ バッテンラーメン アメリカ

 

~2001年~

移住初の勤務地は、

NJのFortLee

にあるラーメン中心の店だ。

開店1ヶ月未満の新店舗だ。

最初に驚愕したのは、従業員に米国人が一人もいない事であった

。スタッフは、社員とアルバイトは基本的に日本人、

他はキッチンの下働きとしている

アル中のエクアドル人、

力士の様な巨漢で見た目怖いが心優しいエルサルバトル人、

若いヤンチャなエルサルバトル人

という英語苦手な中南米ヒスパニック系3人であった。

そんな環境なので英語での会話も一切ない。

お客様と接するアルバイトは語学堪能なので、

厨房内のコミュニケーションはもっぱら日本語かスパニッシュ。

朝出勤しての挨拶は「オラ」「ブエノスディアス」「おはよう」のどれか、

当然英語も知らない私はスペイン語も全く分からなかったので、

仕事覚えると同時にスペイン語の勉強もしざるおえない状況かこまれた。

NYやNJでもマンハッタン近郊は外国人比率が高く、生活環境によれば米国人と交流を一切しない日も少なくない。

系列店から応援に来てくれている日本人上司達は

何十年もアメリカ在住であるが日本語の訛りがすごい、しかも二人ともだ。

英語やスペイン語よりも上司である彼らとのコミュニケーションを取ることの方が難しく、

同僚が彼らと同郷に近かったので同時通訳をしてくれたが、

彼がシフト等でいない時の彼らとの世間話のヒアリングには日々困惑だったが、

二人とも凄く愉快で良い人達で良かった。

そんな職場でのとある日、

暇な時間帯にバイト一人と厨房が私一人で他は休憩に入っている時に、

アジア人が多い街であったが、珍しく米国人白人が一人で来店した。

最近は箸を使える人は増えているし、

一人での来店なのでこなれているんだろうな~と思っていた私は

、オーダーの【とんこつラーメンと餃子】を作り提供した。

彼は食べ方分からない様でホールスタッフに確認してから食べだした。

最初箸を使ってみたが、どうにも使いこなせない。

迷った彼はレンゲでスープを

一口、二口と飲みだし、いや、待てよ三口、四口・・・・・・

スープだけ全部先に飲んだのだ。

そして餃子をレンゲで食べ、

器から具だけを餃子の器に盛りかえて食す。

スープが全くなくなり、伸びきってしまった麺はレンゲでも切り易くなったのか、

雑炊をレンゲで食べる様に食べだした。

途中でスープ無いせいか、餃子のたれを麺にかけて食した。

ゆっくりと食べたからか、45分程かけて満足げな笑顔で完食。

そして食後はやっぱりコーラであった。

前菜・スープ

焼物・餃子

煮物・チャーシューなどの具材

主菜・麺

甘味・コーラ

アメリカ ラーメン バッテン

なんと箸が使えないからか、

彼の性格なのか、

ラーメン&餃子をコース仕立てにして食べあげたのだ。

これに対して当初「え~((+_+))」って思ったが

自分の先入観でスープは冷めないうちに、

麺は伸びないうちに等と思い込んでしまっていたが、

人の考え方って自由だし、当たり前と思い込んでいる事が

逆に進化を妨げる可能性もあるのかな~と考えさせられる一件であった。

その後のまかないで真似をしてみたが個人的には普通に食べた方が美味しく感じた。

そして翌日から店にはお客様用のフォークを用意したのは言うまでもない。

奮闘記 アメリカ編 エピソード1

アメリカ JFK 空港 POLICE

アメリカ同時多発テロから一ヶ月がたったある日、私はJFK空港に降り立った。

 

~1999年~

六本木の老舗で共に働いていた先輩I氏から

アメリカでフードビジネスで大成功されているW社長の連絡先を紹介してもらった。

当時の私はNYという街に憧れていたので、

すぐに電話し、W社長に会いに行く事を告げた。

しかし当時の飲食業界は、修行中の身で急な連休などもってのほかと言われていた。

親方に頭を下げ続け急ぎで3日の休みを頂き、荷物は一日分の着替えと履歴書一枚だけで米国入りした。

海外経験も殆どない人間が一人で急にマンハッタンへふらりと来てしまった。

「す、す、すげ~。これがTVなどでよく見たマンハッタンか~」「なんて完成度の高い街なんだ~」と、正直度肝を抜かれた。

そんな街で生活する事を夢見ながら強引なまでに

W社長へひたすらお願いし働きたい気持ちを伝えビザ申請の許可を得る事が出来、

帰国後申請を始め2年でグリーンカード(永住権)を得る事が出来た。

この時期は皮肉にも同時多発テロが起こったすぐ後だったので、

ジュリアーニ市長から発表された事が取得のきっかけとなり、

当時3~5年は当然かかると言われていたが、

僅か2年で取得することができた。

 

~2001年~

英語も全く知らない若輩者が米国の地にグリーンカードと包丁7本を手に降り立った。

意気揚々と行ったものの右も左も分からない、電話の掛け方すら知らず、

通信手段になるものも持っていない。

空港に迎えが来てくれる事だけは分かっていたので、

早く税関を通って挨拶に行かなくてはと思いながら税関の列に並んだ。

約30分かかり「ネ~クスト」とぶっきら棒に呼ばれ、

グリーンカードとパスポートを見せ、

「NY、NY、I will NY」

 「I am Business」 

「I am chef」等と

ハチャメチャな英語のカタカナを並び立てた。

150kg位はありそうな巨漢の彼は何か

「○△○□▽□△▼~~~~」

と私には理解不能な言葉で声をかけてくる。

「NY、NY、I will NY」

 「I am Business」

 「I am chef」

とカタカナ言葉で返す。

そんなやりとりを繰り返すと、

制服をきた大柄な黒人女性がやってきて

「Come on」

と言われ、見ると「POLICE」の文字が・・・・。

20162118544.jpg

「え?え?え?俺はまだ何もやっていない。何かヤベェ事したか~?

そりゃ~人に言えないような事も日本ではしたかも知れないが、え~?なんで」

と一人焦りながら空港内の警察署に連れていかれ、

椅子に座る様に指示された。横に座らされていたのは、

映画のギャング役で登場しそうな黒人、

目付きの悪くドラッグ中毒なんじゃないかと思えそうな痩せた白人、

やたら陽気で大金持ち感が漂う家族風なアジア系。

「この連中と同じ扱い?」

 「犯罪者扱いか?」

 「いきなり留置所?」

 「強制送還?」

 「それとも・・・・?」 

恐怖が広がっていた。

次第に不安は広がる。

誘導した彼女は呑気に同僚たちと特大サイズのアイスを目の前で頬張っている。

気を紛らわす為に「俺にもくれ」と言いたかったが英語力はない、

気温は15度以下なので寒いのに手の平や脇汗が洪水だったので

それどころではないのが本音だった。そんな呑気な警官に嫌悪感を抱きながら、

ただ待つだけだった。

時計で1時間以上経過していた、

体感時間では3時間以上に感じてきた時に、

写真部屋に連れていかれた。

犯罪者の様な写真を色んなアングルで撮られ、

指紋を各指押させられた。

背後に数字が書いてある映画やドラマでみかけるあのワンシーンだ。

写真 イメージ

何かやらかしたかぁ~と自問していると、

一人の警官が包丁ケースと永住権書類を持ってきて何やら説明しだした。

しかも日本語で~~~~~~\(゜ロ\)(/ロ゜)/。

 

ここまで2時間近くかかっていた。

「どうして、もっと早く出てきてくれないんだ~」結局は包丁を何本も持っていて、

英語の全く話せないグリーンカード保持者だったし、

テロの1月後だったので怪しまれて色々調べられたのだ。

一通りそこでの処理を終え、

迎えに来てくれている社長を待たせてしまっている事を

心配しながら足早に入国した。初日は機内で睡眠取れなかった上、

夕方から夜中まで挨拶を兼ねた飲みに連れていかれ、

その後の記憶は曖昧で気が付いた時には

翌朝の初出勤時間の目覚ましだけが陽気に鳴っていた。

そんな陽気なアメリカンライフが明るく幕を開けた。

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