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ぴあ 足立食本 2015年 

足立食本 足立区雑誌 ぴあ ゑの木 えのき 六町 TX 加平 東京料理
足立食本 足立区雑誌 ぴあ ゑの木 えのき 六町 TX 加平 東京料理

 

足立食本に

あだち菜うどん

焼キーマカレー

紹介されました

奮闘記 アメリカ編 エピソード1

アメリカ JFK 空港 POLICE

アメリカ同時多発テロから一ヶ月がたったある日、私はJFK空港に降り立った。

 

~1999年~

六本木の老舗で共に働いていた先輩I氏から

アメリカでフードビジネスで大成功されているW社長の連絡先を紹介してもらった。

当時の私はNYという街に憧れていたので、

すぐに電話し、W社長に会いに行く事を告げた。

しかし当時の飲食業界は、修行中の身で急な連休などもってのほかと言われていた。

親方に頭を下げ続け急ぎで3日の休みを頂き、荷物は一日分の着替えと履歴書一枚だけで米国入りした。

海外経験も殆どない人間が一人で急にマンハッタンへふらりと来てしまった。

「す、す、すげ~。これがTVなどでよく見たマンハッタンか~」「なんて完成度の高い街なんだ~」と、正直度肝を抜かれた。

そんな街で生活する事を夢見ながら強引なまでに

W社長へひたすらお願いし働きたい気持ちを伝えビザ申請の許可を得る事が出来、

帰国後申請を始め2年でグリーンカード(永住権)を得る事が出来た。

この時期は皮肉にも同時多発テロが起こったすぐ後だったので、

ジュリアーニ市長から発表された事が取得のきっかけとなり、

当時3~5年は当然かかると言われていたが、

僅か2年で取得することができた。

 

~2001年~

英語も全く知らない若輩者が米国の地にグリーンカードと包丁7本を手に降り立った。

意気揚々と行ったものの右も左も分からない、電話の掛け方すら知らず、

通信手段になるものも持っていない。

空港に迎えが来てくれる事だけは分かっていたので、

早く税関を通って挨拶に行かなくてはと思いながら税関の列に並んだ。

約30分かかり「ネ~クスト」とぶっきら棒に呼ばれ、

グリーンカードとパスポートを見せ、

「NY、NY、I will NY」

 「I am Business」 

「I am chef」等と

ハチャメチャな英語のカタカナを並び立てた。

150kg位はありそうな巨漢の彼は何か

「○△○□▽□△▼~~~~」

と私には理解不能な言葉で声をかけてくる。

「NY、NY、I will NY」

 「I am Business」

 「I am chef」

とカタカナ言葉で返す。

そんなやりとりを繰り返すと、

制服をきた大柄な黒人女性がやってきて

「Come on」

と言われ、見ると「POLICE」の文字が・・・・。

20162118544.jpg

「え?え?え?俺はまだ何もやっていない。何かヤベェ事したか~?

そりゃ~人に言えないような事も日本ではしたかも知れないが、え~?なんで」

と一人焦りながら空港内の警察署に連れていかれ、

椅子に座る様に指示された。横に座らされていたのは、

映画のギャング役で登場しそうな黒人、

目付きの悪くドラッグ中毒なんじゃないかと思えそうな痩せた白人、

やたら陽気で大金持ち感が漂う家族風なアジア系。

「この連中と同じ扱い?」

 「犯罪者扱いか?」

 「いきなり留置所?」

 「強制送還?」

 「それとも・・・・?」 

恐怖が広がっていた。

次第に不安は広がる。

誘導した彼女は呑気に同僚たちと特大サイズのアイスを目の前で頬張っている。

気を紛らわす為に「俺にもくれ」と言いたかったが英語力はない、

気温は15度以下なので寒いのに手の平や脇汗が洪水だったので

それどころではないのが本音だった。そんな呑気な警官に嫌悪感を抱きながら、

ただ待つだけだった。

時計で1時間以上経過していた、

体感時間では3時間以上に感じてきた時に、

写真部屋に連れていかれた。

犯罪者の様な写真を色んなアングルで撮られ、

指紋を各指押させられた。

背後に数字が書いてある映画やドラマでみかけるあのワンシーンだ。

写真 イメージ

何かやらかしたかぁ~と自問していると、

一人の警官が包丁ケースと永住権書類を持ってきて何やら説明しだした。

しかも日本語で~~~~~~\(゜ロ\)(/ロ゜)/。

 

ここまで2時間近くかかっていた。

「どうして、もっと早く出てきてくれないんだ~」結局は包丁を何本も持っていて、

英語の全く話せないグリーンカード保持者だったし、

テロの1月後だったので怪しまれて色々調べられたのだ。

一通りそこでの処理を終え、

迎えに来てくれている社長を待たせてしまっている事を

心配しながら足早に入国した。初日は機内で睡眠取れなかった上、

夕方から夜中まで挨拶を兼ねた飲みに連れていかれ、

その後の記憶は曖昧で気が付いた時には

翌朝の初出勤時間の目覚ましだけが陽気に鳴っていた。

そんな陽気なアメリカンライフが明るく幕を開けた。

佐々木監督

佐々木監督 サッカー ゑの木
佐々木監督 なでしこ サッカー ゑの木 あだち菜 うどん

 女子サッカーの名将佐々木監督とお会いさせて頂きました。

私とちーちゃんの二人で綾瀬までお越しくださった佐々木監督から

お話を伺い、写真&サインいただきました。

凄く女子の気持ちを考えて下さっているし、格好良かったです。

女子の気持ちを理解する指導者として、

主人に爪の垢を煎じて飲ませたいと思います(^^♪

賞 2014年 ラーメン王座決定戦

 
ゑの木 ラーメン グランプリ
ゑの木 ハラル ラーメン

2014年

ラーメン新人王決定戦

ラーメン協会主催  4位入賞

うどん天下一決定戦の時に少し記述していたが、改めて弟が人生で初めて大舞台に立った。ラーメンの大会で一年で最多の応募があるイベントで、書類選考から始まり、面接や試食審査をし、8人がファイナリストとして、準決勝へコマを進める大会だ。その中にゑの木で共に料理を作る実弟が残れた。毎日、ゑの木の営業時間や仕込み時間以外で泊まり込みで、試作を何度も何度も繰り返した。大会前日も最終調整で睡眠時間は殆ど無かったが、納得のいく一杯になった。本当のハラル基準になるラーメンは日本国内及び海外でも展開するラーメン店全てにおいてないらしく、そこの基準を全て網羅した一杯を作りあげ、実際にゑの木一同でこれならば優勝できる味だと納得ができるまで少なくても100杯は試作試食した。

そして大会当日、劣悪な環境と緊張で想定外の事が何度もあったが、無事決勝進出が決まった。そして急ぎゑの木に戻り、営業後に翌日の決勝用の一杯への調整が始まった。準決勝との差異を審査員にも表現したく、決勝は違う味のラーメンを計画し、夜中の4時位にこの一杯行こうという物が完成した。そしていざ決勝の場で順番に試食がスタートした。ラーメンは伸びるのがダメなので、直前に仕上げて、すぐに試食という形式での審査になったので、指示されるまでは準備のみで待機して、「作って」との指示があり急ぎ作りだしたら、「ちょっと待って」前の人へのコメントが延長して小休止、ビデオの一時停止とは違い食べ物は状態が変わる。そして再度作りだし具材を盛ろうとした時に、トラブルがあった。善意でして頂いた事が仇となってしまったのだ。色んな劣悪な環境で対応しきれなくミスを犯してしまい結果は惨敗。不本意な結果に終わってしまったが、やはり我々兄弟は自分で優勝を手にする事がまだできないんだなと痛感し、更なる努力を誓う結果に終わった。

余談になるが飲食もそれ以外でも出場したり、見学したり色んなイベントに行ってきたが、今大会では予選も含め愛のない残酷評する審査委員がいる事には本気で驚愕した。(協会長らしき方だけは酷評にも愛があった)

賞 2014年 うどん 全国大会へ

うどん 決戦 入賞 初出場 あだち菜うどん
名物 あだち菜うどん 美味しい びっくり うどん

 

あだち菜うどん 看板娘 美味しい かわいい ギャル
あだち菜うどん うどん 天下一決定戦 投票

 

 

2014年

全国大会 うどん天下一決定戦

初出場 味の評価部門8位入賞

 

あだち菜うどん学会HPに詳細を書いているので、

ここでは自分視線の話をします。

あだち菜うどん学会としての活動は

「被災地での炊き出し」「料理コンクール受賞」そして、この年から当店を第1号店とし、

区内の飲食店で提供が始まった。

そんな矢先に商工会議所へ選考審査通過したので

「全国の有名うどんが集いそこで1位を決める大会」へ出場して欲しいとの連絡だった。

皆でそれを協議したがまだ活動自体2年だし、まだまだ経験値が少ないし準備が厳しい、

今回は見送りにして、翌年に出られたら出場したいとの意向でまとまった。

その話から一転したのは、とある足立区内の大社長さんから背中を押す一言を頂き、

やるからには頂き目指し一丸となって頑張ろうとなった。そんな奮起した気持ちと裏腹に、祖母が他界した。

色んな事情もあり私が喪主で進めなくてはいけなかった。

うどん大会も中心の一人として活動させてもらっていて、

大会当日まで2ヶ月を切っている最中だった。

重なる時は重なるもんで、ゑの木で一緒にやっていた弟が

応募していた別大会の最終予選がの案内が天下一決定戦の翌週となり、

準決勝&決勝までも1ヶ月切っていた。

ゑの木、葬儀の準備、天下一決定戦準備、

弟のフォローなどしているとアッという間に大会当日になってしまった。

途中本気で時間と体力的にリタイヤを申し出ようかと何度も頭に過ったが、

祖母もこのうどんを大好きでいてくれて大会の事も応援してくれていたので、

やり抜く事を決意した。その模様は(あだち菜うどん学会HPにて)。

気力体力ともに限界であり、大会最終日には皆打上げをする力もなく、

皆帰宅し、後日改めて大打上げ会で美酒を堪能した。

今回感じた事は、「限界とは自分で決め付けるものであって、

半ば諦めからくるものなのであろう、ならば限界を超えるとどうなるか、

死ぬような事になってはいけないが、

やり切るやり抜く事を超えた後には掛替えのない仲間と経験が残る」という事だった。

賞 2012年 飲食業で初

足立区長 近藤やよい 
会社 株式会社 ゑの木 受賞

 

2012年

足立区主催 創業プランコンテスト

奨励賞受賞  飲食業初受賞

 

2011年までに足立区内で50社が応募し16社が受賞となっていた、

年によりエントリー数も違うが、この年は昨年が東日本大震災で応募も少なく、

この年は過去最多の17社が新規事業者として手を挙げた。

私は料理以外の大会に応募すら経験がなかったので、

どうしたら良いのか分からなく、受賞経験のある先輩に相談し、

なんとか資料を完成させて応募した。結果が出るまで数ヶ月あるので、

どうなるか不安でいる時に一つの情報が入ってきた。

今までに飲食業での受賞は無いので、不利だという内容だった。

通らないのが当然で、決まったらラッキーという気持ちでいたが、

やはりそんな情報聞くと淡い胸にしまっていた分大きなため息を漏らし落胆した。

完全に諦めていて応募した事すら忘れだした。

そしてある晴れた日の昼前に一本の電話のベルが鳴った。

区役所からで「やばい、税金かなんか払い忘れていたかな~」等と一人で焦っていると、

創業プランコンテストの受賞を伝える内容だった。

真面目とは言えない人生を送り、足立の地で旗揚げし

独自のスタイルを貫くという一風変わった活動を続けていたが

「やはり難しいのかな~?」などと不安がよぎり出していた時なので、

今回の受賞は生まれて初めて考え方を人に認めて貰えた気分で飛び跳び、勇み足で昼酒まで飲んでしまった。

人生には色んな事がある、やりたい事や目標を形にする事も良いが、

今回の事は自分自身1年前ですら考えもなかった事だ。

持論で努力は全て報われるとは思わないが、

努力なしで成果を成し遂げた人はいないと思う。

これからも他人から見たら無駄と思える事でも自分なりの努力は惜しまず前に進もうと誓える機会であった。

賞 2012年 足立が1位と2位

服部先生 平野レミ先生 向笠先生
東京軍鶏 地産地消 地物

 

平野レミ先生 質問
あだち菜うどん 元祖 発祥 名物 東京 地産地消

 

 

2012年

第3回 都内農林水産物を使用した料理コンクール 

東京都主催  優秀賞&最優秀賞

 

 

毎年続く料理コンクール。

後に聞いた話では石原都知事時代のコンクールで、

知事が変わってからは終了してしまい結果的には今回が最後の大会であった。

今回は審査委員長の服部幸應先生が運営する学校がファイナルの舞台に選ばれた。

予選を勝ち抜いた8組がファイナリストとして決勝のステージで審査委員に実食してもらうという流れで、

今回はできた順で試食審査し、全てが出そろってから最終審議し、発表という流れだ。

何度かこういう舞台に立つ経験をしてきたが、

やはり色んな先生方に見られながら調理し、試食してもらう事には戸惑いと緊張を隠せない。

そして今回は第1回、2回と優秀賞であったので折角なら3年連続優秀賞を目指そうという考えと、

もう一つの重要な作戦を練っていた。

 

半年以上前から地域活性化を目的とした

【あだち菜うどん学会(当時はAGPの名称で活動していたので今回はAGPと記する)】の活動をしていた。

東京商工会議所が中心となり動いて、これを足立区の名物にしようと本気で考える活動だ。

(※詳細などはHP) これを料理コンクールで偉い先生方に審査してもらって、

その判断を今後の活動に役立たせるという事を目的に予選へ応募した。

多少のすったもんだはあったが、なんとか最終選考とおり決勝進出の通知が届いた。

そして今回は「ゑの木」での出場ではなく、「AGPとして東京商工会議所」でのエントリーにしていたので、

そこまでのレシピを体で覚えて貰うために、ゑの木調理場での猛特訓が始まった。

他のメンバーや応援の方にも事前試食などや調整の意見を貰いながら、なんとか形になってき始めた時に当日の朝を迎えた。

この日の天気予報は雨であったが、どうにか曇りになってくれた。

「ゑの木」エントリー分と「AGP」エントリー分の材料を車に積み会場へ向かうときは、

いつも大一番前に聴く中島みゆき氏の「地上の星」で自分を鼓舞させていたが、

今回のプレッシャーは今までにないもので会場着くまでの間に3回トイレ行き、

会場着いてすぐにもトイレへ行った。そしてメンバーと合流し下準備を済ませ、

昼飯休憩と作戦会議をハンバーガー屋さんで行い、気を落ち着かせ決戦の舞台に立った。

「調理開始」の合図とともに一斉にスタートした、

これまでに貫いていたテーマ「東京軍鶏・六町産小松菜」を

第1回は【鍋による煮】、

第2回は【揚げ&蒸し】、

そして今回は【生と焼き】と

其々同じものを活用しての変化を楽しんでいた。

そして勿論AGPエントリーもテーマは同じで、

こちらは【練りこみ&茹で】だ。

試食審査は完成した順で食べて頂くという形式になっていて

、一番初めに完成したのは私が作る「東京ヤキマキ」だった。

東京軍鶏の天然塩焼き、山葵茎の味噌漬けを生の小松菜に包んで食べる

といった料理で調味料に至るまで全て東京産を活用した。

一番初めに作り終えたが、その作っている時は無我夢中であったので

AGPの事も、他のライバル達の事も全く目に入っていなかったので、

時間も様子も正直覚えていなく無心というか平常心でない事を、

試食してもらってから気付いた。試食中の評価も悪くない気がし

「お~、これは有利かな~」って思えたが、

その後2番手、3番手、そしてAGPと続き、全試食が終わった時に振り返ると、

他の7組とも決勝の舞台に来ているだけあり高評価であった為に、

誰が有利かは予測不可能状態で審査発表を迎えた。

2位、3位、そして1位、その後に他の賞をという順番で発表する

といわれたからの数分間は数時間にも感じるほどの緊張が走った。

今回はゑの木のタイトルもあるが、AGPのタイトルもかかっているので、

心臓の鼓動は張り裂けそうになっていたし、頭を過るのはネガティブな事ばかりであった。

結果としては1位が【あだち菜うどん(当時はあだち肉うどん)】で

2位に【東京ヤキマキ】という最高の結果をもたらすことが出来た。

これまでも順風満帆は全くなかったので、

今までの苦労や努力が要約報われ気がした。

酒絶ちを暫くしていたので、この日のビールは人生でも指折りの美酒に感じられた。  

そして「うどん」も「ヤキマキ」も改良を加え、現在でもゑの木人気メニューとして継続している。

賞 2011年 震災の年 立ち上がった女たち

ゑの木 地産地消 調理
ゑの木 娘 地産地消

 

ゑの木 地産地消 天丼 受賞
地産地消 天丼 ゑの木のサムネイル画像

 

 

2011年

第2回 都内産農林水産物を使用した料理コンクール

東京都主催  優秀賞受賞

 

 

昨年に優秀賞を頂けた賞がまた催されると伺った。

前回は私が出て優秀賞だったので、

今回は【ゑの木れすとらん】のスタートしていたので、

家内を中心とした「ゑの木女子たち」で出場する事にした。

料理は前回と同様に近い食材を活用し、

前回とは全く違う味わいを表現しようと考え、

また納得行くまで試作を繰り返し、応募した。

最終選考の通知が届き、

当初女子二人(家内&オープニングスタッフのちーちゃん)で挑もうと計画していたが、

質問などされながらの料理は難しいという事で

AYA(ゑの木スーパーヘルパー)に手伝いを依頼し、

急増トリオであるが大会に臨んだ。序盤は調子良かったが、

途中で服幸應審査委員長や平野レミ審査委員達の質問により

一人の手が止まり会話に集中してしまったら、

中途半端に近い状態で制限時間ギリギリとなってしまったが、

なんとか彼女たちの努力が実ったのか2位の優秀賞を受賞する事ができた。

料理は〝東京軍鶏とトマトの炊き込みご飯”〝小松菜のかき揚げ”〝特製みそスープ”で、

最初は「かき揚げとご飯を其々そのまま食べ」

次に「ご飯にかき揚げを乗せて丼に」

最後に「丼にスープをかけ、リゾットに」

という3段階楽しむ【東京こまつ天丼】だ。

ゑの木で提供も始めTVでも紹介され人気の一品であったが、

これ一つでお腹一杯になってしまう等の諸問題があり、

裏メニューとしてだけの提供に変わりました。

もし食べてみたいな~って方がいらっしゃれば複数人でご注文して下さい。

※混雑時などに作れないので、平日夜限定になります。

賞 2010年 地産地消で受賞

ゑの木 地産地消 賞状
地産地消 ゑの木 1回目 受賞

 

2010年

第1回 都内産農林水産物を使用した料理コンクール

東京都主催  優秀賞受賞

飲料メーカーを退社し、「ゑの木」を開業する準備と個人コンサルタントをしている頃に新聞を読んでいたら、

新たな料理コンクールを東京都が開催するとの記事に目を止めた。そこには東京の地産地消を推奨すべく、

東京の特産食材を活用したコンクール出場者の募集であった。

率直な感想は「東京にそんな素材ってあんのかな~」

「東京って都会だから土や水もあんま良くないんじゃないか~」

等といったもので「自分はやらないな~」だった。

しかし翌日から東京食材への興味が増していった。

海外では移住、旅行、バックパックし、

日本でも出張、旅行などで色んな郷土の人、料理、風土と

触れ合える機会を持てた。

そこでフッと頭を過ったのは

「東京って日本を代表する都市の一つなのに、東京ならではの地産地消郷土料理ってもう無くなってきているな~」って事だった。

そして書物やインターネットなどで東京や江戸の事を調べていくと、

自分の知らなかった様々な文化や食材が見えてきた時に「これだ~!」と叫び、

一筋の光に触れた。それまでは翌年開こうと準備していた店で提供しようと考えていたのは、

出会った全国各地の生産者から独自ルートで集めたものを使って流行を先取る、

所謂「流行りの店」を計画していたが、その日を境に180度考え方を変え、

「こんなにも東京に素晴らしい素材が多いんだから、

東京ならではの地産地消でオンリーワンに成れる店を目指そう」と決意した。そして賞にこだわりはなかったが、

東京の地産地消という事をテーマにしたら、コンクールに出たいという気持ちが強くなり、

色んな素材や生産者と触れ合いながら、試作と失敗を何日も繰り返し、納得いく物ができたので、

舞台に立った。大会の会場がIHという事もあり多少のミスをしてしまったが

どうにか2位である「優秀賞」を受賞できた。

その料理を更なる進化させたものが【ゑの木名物〝大江戸こまつ鍋”】であった。

東京産の「軍鶏、玉子、小松菜、味噌、醤油」等の味と生産者の気持ちを包み込む鍋で、

寒い時期はもちろん、暑い時に食べても美味しくできたと自負していますので、機会あれば是非ご賞味下さい。

賞 2001年 コンテスト in NY

ゑの木 うなぎ 麺
East ジャパレス

 

2001年

East Boy Inc.主催  

 (アメリカ東海岸を中心とするEast レストラングループ)

準優勝 アペタイザーコンテスト

 

渡米し数ヶ月後に麺を使った料理の社内コンテストが行われることになった。

新商品開発も目的の一つであったが、

恐らくシェフのモチベーションアップを図る為でもあったのか、

高級ブランド品などの豪華賞品があった。

東海岸を中心に全米で展開している会社であったが、

NY近郊の店舗から立候補者達が集った。

グループ内はレストラン、寿司屋、回転寿司、居酒屋、焼肉屋、

ラーメン屋、ファストフード、カラオケ、ピアノバー等の

シェフ達が色んな料理を持ち寄った。

曖昧な記憶であるが、当時のNYには50店舗位があったので約100人位が競ったと思う。

その中に出品したのは「うなトロ、冷やしラーメン」。

冷たい細麺の上に、

丸ごと一本炙り焼きにした鰻、

山芋とろろ、

ポーチドエッグ、

細切りキューリを飾り、

甘辛いスープをかけた料理を作った

。当時のNYでは鰻の寿司が大人気であったという事もあり、

入社まもない中途雇用社員であったが2位を受賞できた。 

当時の上司?先輩?M氏が直上(旅館の息子というサラブレッド)にいて、

彼と全く馬が合わなく揉めたり落ち込んだりする時期であった。

そのタイミングの企画だったので、

これは自己奮起のチャンスだと躍起になって挑んだとい事は10年以上経過した今でも覚えている。

喧嘩は互いに原因があると思うし、もうその人へ対する感情は無であるが、

この人だけには負けたくないというダークサイドパワーが、

未知の力を生み出し、良い意味で受賞できた事は感謝をしたいと思う。

渡米する前にK君から餞別としてブランドのボールペンを貰い、

この副賞の一つにブランドのボールペンがあったので、

未使用で帰国した際にプレゼントした。

しかし在米中の部屋に飾っていたので、

思いと結果を伝えたが劣化もあり

「これ絶対中古だろ~~」ってツッコマレタ(笑)。

K君とは今でも仲良く酒を酌み交すが、

ボールペン未使用だという事だけは今でも信じてもらえません。

人にプレゼントする物を自分の部屋で飾る事は未使用でなく、

中古品になるのでもう止めようと心に誓いました。

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