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特別限定酒

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本日入荷!!

《無病息災》《商売繁盛》へ願いを込めた純米吟醸生原酒!!
立春の日の早朝に搾りあがった生酒をご祈願したありがたいお酒です。
ご来店お待ちしております(*^^*)

鈴木選手&仁科氏

サッカー 浦和レッズ 鈴木啓太 ゑの木 支援 東日本大震災
サッカー 浦和レッズ 鈴木啓太 ゑの木 支援 東日本大震災
サッカー 浦和レッズ 鈴木啓太 ゑの木 支援 東日本大震災
サッカー 浦和レッズ 仁科ひとみ ゑの木 支援 東日本大震災

    

 

東日本大震災の後、2011年3月29日にA代表とJリーグ選抜によるチャリティーマッチが開催された。

私の友人が働く六本木のクラブで、

「観戦イベントをやるので来て」との言葉に誘われ、

友人たちと参加。お酒を飲みながらカズさんの有志に胸が熱くなっていた。

そして、カズGOALに感動しながら試合終了の熱気やまぬ中、

浦和レッズで大活躍していた鈴木啓太選手がステージに登場に

会場のボルテージは最高潮。

そして彼は

「東日本大震災の被災者へ向けて、改めて黙祷させて下さい」

と言い

「黙祷」。

その後、彼は

「本当はあのピッチに立ちたかったです」

「でもまだまだだという事なので、もっともっと練習します」

拍手や声援。

「今日はピッチに立てなかった分、東日本大震災被災者へ向けて

ここで自分のユニフォームをチャリティーオークションしたいと思います」

サプライズイベントで会場は超盛り上がり、

オークションが始まった。

1万円、1万5千円、2万、3万、3万5千・・・・・・・・・。

あっという間に価格は上がり、

「△△△円。」と叫び、

落札したのは私だった。

普段は財布にお金入っていない私が

ちょうど、この日は震災復興募金をしようと現金を持っていたので、

落札できたのだ。

そこで彼は

「この金額と同額、自分も出して、これを赤十字社に寄付します。」

「落札した貴方は壇上に来て下さい。」

私が上がり、マイクを渡されたので、

ドラえもん募金しようと現金を持っていた事、

一緒にいた友人の身内が被災した事、

自分の師匠も被災して学校体育館で避難生活している事など話した。

そして啓太選手がユニフォームにサインして下さり、

握手と写真を撮って彼は降壇した。

サインを頂いたユニフォームを広げ皆へ見せると、

会場は歓声が広がった。

そしていつかこのユニフォームを持って

被災地へ支援しに行きたいと考えている事を話し、

この場にいる全ての方へ、このユニフォームへコメントでもサインでも

寄せ書きでも書いて欲しいとお願いし、見ず知らずではあったが心一つになった

人たちの気持ちを一枚のユニフォームにまとめた。

その中にはちょうどACのCMで話題だった仁科ひとみさんもいらっしゃり、

コメントや写真も快く引き受けてくれた。

鈴木啓太選手は気さくで、男前だった。

仁科ひとみさんは、とてもチャーミングでいい匂いした。

 

結果的には偽善なのかどうかは分からない。

そして自分自身裕福で兼ね余っていた訳でもなく、

震災後の営業は最悪な状態で、毎日酒を大量に飲まないと眠れない日々が続いていた。

でも、命は残った、家族も残った、店も家も無事に使える。

そんな状況で大きなことは出来ないので、小さい出来ることを探したら、

ちょうどここにあった。六町という街で商売をしている物が六本木で少し、

世の中の事を考えてみた。

未だに正解は分からないが、

自分なりの答えは出してみた。

だからこそ、今を全力で頑張り、

自分に正直に、自分の未知なる力と運を信じ

一生懸命やり抜き、満足出来るように行き抜き、

いつか死ぬときは笑顔で最期を迎えられる人生を送りたいと

本気で生き抜いて行く事を心に刻める

機会であった。

 

 

奮闘記 アメリカ編 エピソード3

~2002~

割れたビール瓶事件。

アメリカ生活半年、日本との遠距離恋愛も電話や手紙の交換を順調に続け、

ホームシックも拭い去ってきた。友達も何人か出来てきて、

英語は全然話せないままであるがスペイン語には多少慣れてきた。

休みの日は日本人が一切いない環境を求め電子辞書片手にスポーツバーなどで

アメリカ人とコミュニケーションをとる事が一人で出来るようになり、

楽しさを感じ始める様になってきた。そんな毎日の中、職場で「やばい(>_<)」と感じる事件が起きた。

 

ビール ゑの木 アメリカ 六町

 

この日は

仲の良い先輩 M氏と

アル中エクアドル人 ルイスと

19歳のエルサルバトル人 アグスティーンと

アルバイトのホールスタッフ2人と

私の6人がディナー時のメンバー。

ランチは忙しかったが夜は滅法暇で、

片付けの掃除しながら先輩とこの後マンハッタンに飲みに行く話で盛り上がっていた。

日本同士なので日本食居酒屋か日本人ピアノバーか同グループ運営のカラオケのどれのしようか呑気に話し、

もうお客様もいないからと不謹慎ではあるがビールも飲みだしていた。

(社長ごめんなさい、もう時効だと思い書きました)

片付けも終盤になってきたので、掃除しに行ったら一人アミーゴがいない、

片付けも進んでいない。そこにいたのはルイスだけだった。

※アミーゴはスペイン語で友達。

当時は共に働く中南米ヒスパニック系の人を愛情込めてアミーゴと呼んでいた。

ルイスは数日前にグリーンカードを取得できたから、

身分証明書を改めて持ってきて、

「今日から本名のルイスになった、これからはルイスと呼んでくれ」

と発表しその日までカルロスの名で定着していた彼の呼び名はルイスに変わった。

面接当初が偽造なのか、はたまた新しい方が偽造なのか、

それとも改名したのか等の真偽は未だに謎のままだが、

そんなグレーなのはこの国では日常茶飯事な事なので、

ルイスという新名を受け入れた。

正直ビックリしたが、長年暮らしている人たちはさも当たり前の様に接しているので郷に従った。

そんなルイスに

「アグスティーンはどこ行った?」

「裏の系列店舗に行ったよ」

「分かった、見てくる」

と告げ、寿司や丼のファストフード屋である系列店舗に足を運んだ。

しかしその店は1時間閉店が早いせいか真っ暗でもぬけのからだった。

ルイスに

「いなかったよ」

「それじゃあ、地下の駐車場じゃないかな~?」

と新情報を聞いたので駐車場に行った。

アグスティーンはまだ19歳だが半年前に入国し、

ちょっと一人歩きでは怖い地域に住んでいるヤンチャな若者だ。

でもやる気も素質もあったので結構可愛がり色んな仕事も教え、

二人で遊びに行ったりもする仲になっていた。

ハーレム 危険

 

そんな彼を探したら駐車場にいた。

系列店舗のアミーゴ達3人と酒盛りをしていた。

ちょこっと酒も入って強気になってしまっていた私はついカーっとなってしまい、

彼を見つけるなり

「仕事終わってないのに何やってるんだー」

と叫び彼のお尻を蹴ってしまった。

足を先に出してしまった私が悪いのだけど彼も酒が入っているせいか、

顔付きが急変し持っていたビール瓶を地面に叩きつけ

刃物となったその先を私の胸元に突き付けてきた。

 

ビール 瓶

 

これは「ヤバい」。仲も良かったし、

仕事をきちんとヤレと言う意味でやったつもりが、

とんでもないことになった。しかも凶器を胸元に突き付けられている。

「ど~しよう?ど~しよ~?」

心に思った言葉は

「怖い、ごめんなさい」

でも口から出た言葉は日本語で

「ヤレルもんなら、やってみろ❢❢」

であった。

啖呵をきってしまいながら、

内心はオシッコ漏らしそうにびびり

「何を言ってるんだ、本当に刺されたらどうしよう?\(゜ロ\)(/ロ゜)/」

等という本音と裏腹に

胸を突き出して、

距離を20cm程度に詰めてしまった。

顔と行動は怖がっていないふりをしていたが、

大きく動揺していた。

それを察してかどうかは定かでないが、

一緒に酒盛りをしていたアミーゴ達が中に入ってくれ、

瓶を取り上げてくれた。

「よかった~」

と吐息を漏らしながら、

すかさず、

アグスティーンの肩を抱き「蹴ったのは悪かった、

でも仕事はきちんとやろう」となだめ、

どうにか一件落着した。

これ以降も彼とは仲良くやっていけたが、

今回の事件から色んな反省点が見えたので

もうこんな怖い思いはこりごりだと深く心に刻んだ。

 

その数日後には遠距離恋愛がフラれて破局という、

もっともっと怖い運命が待ち受けている事は、

まだ微塵も感じずそっと胸をなでおろし、

その晩は先輩と居酒屋で二日酔いになるまで駐車場での出来事などを熱く語る一日であった。

奮闘記 アメリカ編 エピソード2

NJ バッテンラーメン アメリカ

 

~2001年~

移住初の勤務地は、

NJのFortLee

にあるラーメン中心の店だ。

開店1ヶ月未満の新店舗だ。

最初に驚愕したのは、従業員に米国人が一人もいない事であった

。スタッフは、社員とアルバイトは基本的に日本人、

他はキッチンの下働きとしている

アル中のエクアドル人、

力士の様な巨漢で見た目怖いが心優しいエルサルバトル人、

若いヤンチャなエルサルバトル人

という英語苦手な中南米ヒスパニック系3人であった。

そんな環境なので英語での会話も一切ない。

お客様と接するアルバイトは語学堪能なので、

厨房内のコミュニケーションはもっぱら日本語かスパニッシュ。

朝出勤しての挨拶は「オラ」「ブエノスディアス」「おはよう」のどれか、

当然英語も知らない私はスペイン語も全く分からなかったので、

仕事覚えると同時にスペイン語の勉強もしざるおえない状況かこまれた。

NYやNJでもマンハッタン近郊は外国人比率が高く、生活環境によれば米国人と交流を一切しない日も少なくない。

系列店から応援に来てくれている日本人上司達は

何十年もアメリカ在住であるが日本語の訛りがすごい、しかも二人ともだ。

英語やスペイン語よりも上司である彼らとのコミュニケーションを取ることの方が難しく、

同僚が彼らと同郷に近かったので同時通訳をしてくれたが、

彼がシフト等でいない時の彼らとの世間話のヒアリングには日々困惑だったが、

二人とも凄く愉快で良い人達で良かった。

そんな職場でのとある日、

暇な時間帯にバイト一人と厨房が私一人で他は休憩に入っている時に、

アジア人が多い街であったが、珍しく米国人白人が一人で来店した。

最近は箸を使える人は増えているし、

一人での来店なのでこなれているんだろうな~と思っていた私は

、オーダーの【とんこつラーメンと餃子】を作り提供した。

彼は食べ方分からない様でホールスタッフに確認してから食べだした。

最初箸を使ってみたが、どうにも使いこなせない。

迷った彼はレンゲでスープを

一口、二口と飲みだし、いや、待てよ三口、四口・・・・・・

スープだけ全部先に飲んだのだ。

そして餃子をレンゲで食べ、

器から具だけを餃子の器に盛りかえて食す。

スープが全くなくなり、伸びきってしまった麺はレンゲでも切り易くなったのか、

雑炊をレンゲで食べる様に食べだした。

途中でスープ無いせいか、餃子のたれを麺にかけて食した。

ゆっくりと食べたからか、45分程かけて満足げな笑顔で完食。

そして食後はやっぱりコーラであった。

前菜・スープ

焼物・餃子

煮物・チャーシューなどの具材

主菜・麺

甘味・コーラ

アメリカ ラーメン バッテン

なんと箸が使えないからか、

彼の性格なのか、

ラーメン&餃子をコース仕立てにして食べあげたのだ。

これに対して当初「え~((+_+))」って思ったが

自分の先入観でスープは冷めないうちに、

麺は伸びないうちに等と思い込んでしまっていたが、

人の考え方って自由だし、当たり前と思い込んでいる事が

逆に進化を妨げる可能性もあるのかな~と考えさせられる一件であった。

その後のまかないで真似をしてみたが個人的には普通に食べた方が美味しく感じた。

そして翌日から店にはお客様用のフォークを用意したのは言うまでもない。

ぴあ 足立食本 2015年 

足立食本 足立区雑誌 ぴあ ゑの木 えのき 六町 TX 加平 東京料理
足立食本 足立区雑誌 ぴあ ゑの木 えのき 六町 TX 加平 東京料理

 

足立食本に

あだち菜うどん

焼キーマカレー

紹介されました

奮闘記 アメリカ編 エピソード1

アメリカ JFK 空港 POLICE

アメリカ同時多発テロから一ヶ月がたったある日、私はJFK空港に降り立った。

 

~1999年~

六本木の老舗で共に働いていた先輩I氏から

アメリカでフードビジネスで大成功されているW社長の連絡先を紹介してもらった。

当時の私はNYという街に憧れていたので、

すぐに電話し、W社長に会いに行く事を告げた。

しかし当時の飲食業界は、修行中の身で急な連休などもってのほかと言われていた。

親方に頭を下げ続け急ぎで3日の休みを頂き、荷物は一日分の着替えと履歴書一枚だけで米国入りした。

海外経験も殆どない人間が一人で急にマンハッタンへふらりと来てしまった。

「す、す、すげ~。これがTVなどでよく見たマンハッタンか~」「なんて完成度の高い街なんだ~」と、正直度肝を抜かれた。

そんな街で生活する事を夢見ながら強引なまでに

W社長へひたすらお願いし働きたい気持ちを伝えビザ申請の許可を得る事が出来、

帰国後申請を始め2年でグリーンカード(永住権)を得る事が出来た。

この時期は皮肉にも同時多発テロが起こったすぐ後だったので、

ジュリアーニ市長から発表された事が取得のきっかけとなり、

当時3~5年は当然かかると言われていたが、

僅か2年で取得することができた。

 

~2001年~

英語も全く知らない若輩者が米国の地にグリーンカードと包丁7本を手に降り立った。

意気揚々と行ったものの右も左も分からない、電話の掛け方すら知らず、

通信手段になるものも持っていない。

空港に迎えが来てくれる事だけは分かっていたので、

早く税関を通って挨拶に行かなくてはと思いながら税関の列に並んだ。

約30分かかり「ネ~クスト」とぶっきら棒に呼ばれ、

グリーンカードとパスポートを見せ、

「NY、NY、I will NY」

 「I am Business」 

「I am chef」等と

ハチャメチャな英語のカタカナを並び立てた。

150kg位はありそうな巨漢の彼は何か

「○△○□▽□△▼~~~~」

と私には理解不能な言葉で声をかけてくる。

「NY、NY、I will NY」

 「I am Business」

 「I am chef」

とカタカナ言葉で返す。

そんなやりとりを繰り返すと、

制服をきた大柄な黒人女性がやってきて

「Come on」

と言われ、見ると「POLICE」の文字が・・・・。

20162118544.jpg

「え?え?え?俺はまだ何もやっていない。何かヤベェ事したか~?

そりゃ~人に言えないような事も日本ではしたかも知れないが、え~?なんで」

と一人焦りながら空港内の警察署に連れていかれ、

椅子に座る様に指示された。横に座らされていたのは、

映画のギャング役で登場しそうな黒人、

目付きの悪くドラッグ中毒なんじゃないかと思えそうな痩せた白人、

やたら陽気で大金持ち感が漂う家族風なアジア系。

「この連中と同じ扱い?」

 「犯罪者扱いか?」

 「いきなり留置所?」

 「強制送還?」

 「それとも・・・・?」 

恐怖が広がっていた。

次第に不安は広がる。

誘導した彼女は呑気に同僚たちと特大サイズのアイスを目の前で頬張っている。

気を紛らわす為に「俺にもくれ」と言いたかったが英語力はない、

気温は15度以下なので寒いのに手の平や脇汗が洪水だったので

それどころではないのが本音だった。そんな呑気な警官に嫌悪感を抱きながら、

ただ待つだけだった。

時計で1時間以上経過していた、

体感時間では3時間以上に感じてきた時に、

写真部屋に連れていかれた。

犯罪者の様な写真を色んなアングルで撮られ、

指紋を各指押させられた。

背後に数字が書いてある映画やドラマでみかけるあのワンシーンだ。

写真 イメージ

何かやらかしたかぁ~と自問していると、

一人の警官が包丁ケースと永住権書類を持ってきて何やら説明しだした。

しかも日本語で~~~~~~\(゜ロ\)(/ロ゜)/。

 

ここまで2時間近くかかっていた。

「どうして、もっと早く出てきてくれないんだ~」結局は包丁を何本も持っていて、

英語の全く話せないグリーンカード保持者だったし、

テロの1月後だったので怪しまれて色々調べられたのだ。

一通りそこでの処理を終え、

迎えに来てくれている社長を待たせてしまっている事を

心配しながら足早に入国した。初日は機内で睡眠取れなかった上、

夕方から夜中まで挨拶を兼ねた飲みに連れていかれ、

その後の記憶は曖昧で気が付いた時には

翌朝の初出勤時間の目覚ましだけが陽気に鳴っていた。

そんな陽気なアメリカンライフが明るく幕を開けた。

佐々木監督

佐々木監督 サッカー ゑの木
佐々木監督 なでしこ サッカー ゑの木 あだち菜 うどん

 女子サッカーの名将佐々木監督とお会いさせて頂きました。

私とちーちゃんの二人で綾瀬までお越しくださった佐々木監督から

お話を伺い、写真&サインいただきました。

凄く女子の気持ちを考えて下さっているし、格好良かったです。

女子の気持ちを理解する指導者として、

主人に爪の垢を煎じて飲ませたいと思います(^^♪

賞 2014年 ラーメン王座決定戦

 
ゑの木 ラーメン グランプリ
ゑの木 ハラル ラーメン

2014年

ラーメン新人王決定戦

ラーメン協会主催  4位入賞

うどん天下一決定戦の時に少し記述していたが、改めて弟が人生で初めて大舞台に立った。ラーメンの大会で一年で最多の応募があるイベントで、書類選考から始まり、面接や試食審査をし、8人がファイナリストとして、準決勝へコマを進める大会だ。その中にゑの木で共に料理を作る実弟が残れた。毎日、ゑの木の営業時間や仕込み時間以外で泊まり込みで、試作を何度も何度も繰り返した。大会前日も最終調整で睡眠時間は殆ど無かったが、納得のいく一杯になった。本当のハラル基準になるラーメンは日本国内及び海外でも展開するラーメン店全てにおいてないらしく、そこの基準を全て網羅した一杯を作りあげ、実際にゑの木一同でこれならば優勝できる味だと納得ができるまで少なくても100杯は試作試食した。

そして大会当日、劣悪な環境と緊張で想定外の事が何度もあったが、無事決勝進出が決まった。そして急ぎゑの木に戻り、営業後に翌日の決勝用の一杯への調整が始まった。準決勝との差異を審査員にも表現したく、決勝は違う味のラーメンを計画し、夜中の4時位にこの一杯行こうという物が完成した。そしていざ決勝の場で順番に試食がスタートした。ラーメンは伸びるのがダメなので、直前に仕上げて、すぐに試食という形式での審査になったので、指示されるまでは準備のみで待機して、「作って」との指示があり急ぎ作りだしたら、「ちょっと待って」前の人へのコメントが延長して小休止、ビデオの一時停止とは違い食べ物は状態が変わる。そして再度作りだし具材を盛ろうとした時に、トラブルがあった。善意でして頂いた事が仇となってしまったのだ。色んな劣悪な環境で対応しきれなくミスを犯してしまい結果は惨敗。不本意な結果に終わってしまったが、やはり我々兄弟は自分で優勝を手にする事がまだできないんだなと痛感し、更なる努力を誓う結果に終わった。

余談になるが飲食もそれ以外でも出場したり、見学したり色んなイベントに行ってきたが、今大会では予選も含め愛のない残酷評する審査委員がいる事には本気で驚愕した。(協会長らしき方だけは酷評にも愛があった)

賞 2014年 うどん 全国大会へ

うどん 決戦 入賞 初出場 あだち菜うどん
名物 あだち菜うどん 美味しい びっくり うどん

 

あだち菜うどん 看板娘 美味しい かわいい ギャル
あだち菜うどん うどん 天下一決定戦 投票

 

 

2014年

全国大会 うどん天下一決定戦

初出場 味の評価部門8位入賞

 

あだち菜うどん学会HPに詳細を書いているので、

ここでは自分視線の話をします。

あだち菜うどん学会としての活動は

「被災地での炊き出し」「料理コンクール受賞」そして、この年から当店を第1号店とし、

区内の飲食店で提供が始まった。

そんな矢先に商工会議所へ選考審査通過したので

「全国の有名うどんが集いそこで1位を決める大会」へ出場して欲しいとの連絡だった。

皆でそれを協議したがまだ活動自体2年だし、まだまだ経験値が少ないし準備が厳しい、

今回は見送りにして、翌年に出られたら出場したいとの意向でまとまった。

その話から一転したのは、とある足立区内の大社長さんから背中を押す一言を頂き、

やるからには頂き目指し一丸となって頑張ろうとなった。そんな奮起した気持ちと裏腹に、祖母が他界した。

色んな事情もあり私が喪主で進めなくてはいけなかった。

うどん大会も中心の一人として活動させてもらっていて、

大会当日まで2ヶ月を切っている最中だった。

重なる時は重なるもんで、ゑの木で一緒にやっていた弟が

応募していた別大会の最終予選がの案内が天下一決定戦の翌週となり、

準決勝&決勝までも1ヶ月切っていた。

ゑの木、葬儀の準備、天下一決定戦準備、

弟のフォローなどしているとアッという間に大会当日になってしまった。

途中本気で時間と体力的にリタイヤを申し出ようかと何度も頭に過ったが、

祖母もこのうどんを大好きでいてくれて大会の事も応援してくれていたので、

やり抜く事を決意した。その模様は(あだち菜うどん学会HPにて)。

気力体力ともに限界であり、大会最終日には皆打上げをする力もなく、

皆帰宅し、後日改めて大打上げ会で美酒を堪能した。

今回感じた事は、「限界とは自分で決め付けるものであって、

半ば諦めからくるものなのであろう、ならば限界を超えるとどうなるか、

死ぬような事になってはいけないが、

やり切るやり抜く事を超えた後には掛替えのない仲間と経験が残る」という事だった。

賞 2012年 飲食業で初

足立区長 近藤やよい 
会社 株式会社 ゑの木 受賞

 

2012年

足立区主催 創業プランコンテスト

奨励賞受賞  飲食業初受賞

 

2011年までに足立区内で50社が応募し16社が受賞となっていた、

年によりエントリー数も違うが、この年は昨年が東日本大震災で応募も少なく、

この年は過去最多の17社が新規事業者として手を挙げた。

私は料理以外の大会に応募すら経験がなかったので、

どうしたら良いのか分からなく、受賞経験のある先輩に相談し、

なんとか資料を完成させて応募した。結果が出るまで数ヶ月あるので、

どうなるか不安でいる時に一つの情報が入ってきた。

今までに飲食業での受賞は無いので、不利だという内容だった。

通らないのが当然で、決まったらラッキーという気持ちでいたが、

やはりそんな情報聞くと淡い胸にしまっていた分大きなため息を漏らし落胆した。

完全に諦めていて応募した事すら忘れだした。

そしてある晴れた日の昼前に一本の電話のベルが鳴った。

区役所からで「やばい、税金かなんか払い忘れていたかな~」等と一人で焦っていると、

創業プランコンテストの受賞を伝える内容だった。

真面目とは言えない人生を送り、足立の地で旗揚げし

独自のスタイルを貫くという一風変わった活動を続けていたが

「やはり難しいのかな~?」などと不安がよぎり出していた時なので、

今回の受賞は生まれて初めて考え方を人に認めて貰えた気分で飛び跳び、勇み足で昼酒まで飲んでしまった。

人生には色んな事がある、やりたい事や目標を形にする事も良いが、

今回の事は自分自身1年前ですら考えもなかった事だ。

持論で努力は全て報われるとは思わないが、

努力なしで成果を成し遂げた人はいないと思う。

これからも他人から見たら無駄と思える事でも自分なりの努力は惜しまず前に進もうと誓える機会であった。

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